フェラーリF1レースカーの「部品」を蒐集する|AUTOMOBILIA 第6回

フェラーリF1のピストンとコンロッド(Photos: Kumataro ITAYA)

以前にとりあげた、万年筆は、使える、という点で誰にとっても一定の存在価値がある。今回の中古ピストンやコンロッドはどうだろう。これらに実用性は皆無。趣味のない人には、単なるゴミ以外の何物でもない。

まずは浮世絵の話から

19世紀の中ごろに、日本から欧州に輸出された陶磁器の保護・緩衝材として浮世絵が使われていたのは有名な話。現在でも、こわれものを荷造りする際には古新聞などが活用されているが、当時の浮世絵の一部は、まさに今日の古新聞と同じ位置付けだったのかもしれない。

保護材としての古新聞を、荷解きの際についつい読みふけってしまう、というのはよくあること。この場合の新聞は、古ければ古いほど興味がわく。

ある時期、日本では緩衝材としての価値しかなかった浮世絵を、駄洒落ではないが、鑑賞の対象としてとらえた当時のフランスは凄い。フランスは昔も今も、お墨付きを与えたり、評価したりすることに長けたお国柄のようである。

その後、浮世絵に代表される日本の美術が、どれほど欧州の美術・芸術界に影響を与えたかについては、長くなりそうなので、ここでは割愛させていただく。

ゴミがお宝に
今回の肴としてとりあげたフェラーリF1の使用済ピストンとコンロッドは、従前であれば廃棄処分されたはずのもの。その廃却理由はいくつか考えられる。まずは機密保全、型落ちしているとはいえ、F1の部品には、技術的に秘匿したい内容も含まれているだろう。更に、保存したところで使い道はない、という現実。

世の中が進歩して電子化が進むにつれ、特に工業製品の世界では、とりあえず不用品は棄てる、ということが一般化してきている。

たとえそれがフェラーリであったとしても、現役を退いたレーシングカーの部品など、かつてはゴミ同然の扱いを受けていた。かのブガッティですら、一台500ポンド程度で購入できる単なる中古車だった時期がある。

昔はジャンクヤードに直行していた使い古しの部品にも、こうして、あらたな生命を授けることができる。きれいに台上に飾られているピストンとコンロッドを眺めていると、われわれ日本人は、何でも棄てすぎてきたのではないか、との思いが強くなる。それはなにも物品に限った話ではない。築地市場や国立競技場など、人間にとって大切な思い出のよすがさえも、この国は簡単に捨て去ってしまおうとする。

これからは、迷ったら棄てない、を心掛けてみるのも良いかもしれない。とりあえず残しておけば、それが思いもかけないお宝に変貌することだってある。ただしゴミ屋敷は困る。残すべきは何か、をしっかりと見極めて判断することが、今まで以上に重要になってきていることを痛感する。

文、写真:板谷熊太郎 Words and Photos: Kumataro ITAYA

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