ポルシェ911から生まれた過激派「ポルシェ935クレマーK3」がル・マン優勝できた理由とは?

1979年クレマー・ポルシェ935 K3(Photography:Pawel Litwinski)

ボディの下で脈打つ心臓はリアマウントのフラットシックスだが、911との共通点はそれだけだ。ポルシェ935クレマーK3の物語を、歴史的優勝を遂げた1979年ル・マンを目撃したデルウィン・マレットが振り返る。

ポルシェ935は、911をベースにグループ5カテゴリーのために誕生。1976年からレースに投入されると、たちまち席巻しはじめ、トップレベルのレースで最後の優勝となった1984年まで最強の名をほしいままにした。グループ6のプロトタイプカーと総合優勝を争うこともしばしばで、ヨーロッパのみならずアメリカでもプライベートチームはこぞって935を選ぶことになった。1976〜79年までFIA世界メーカー選手権のタイトルを4年連続でポルシェにもたらした935だが、そのピークといえるのが、写真のクレマーK3による1979年のル・マン優勝だ。

その年のル・マンは、さながら映画のようにドラマチックだった。最後の数時間は、大スターのポール・ニューマンがドライバーのひとりを務める935が、手負いのK3を徐々に追いつめていく展開だったのだ。K3のドライバーはアメリカ人のウィッティントン兄弟で、ニューマンと違ってヨーロッパのレースファンには無名の存在だった。どちらもプロのドイツ人ドライバーと組んでおり、ニューマンはロルフ・シュトメレンと、K3はクラウス・ルートヴィッヒと参戦していた。

ウィッティントン兄弟
ドンとビルのウィッティントン兄弟は、テキサス州ラボック(歌手バディ・ホリーの故郷)で1946年と49年に生まれた。1950年代初頭に家族でフロリダに移り住み、1959年にはやはりレーシングドライバーとなる三男のデールが生まれた。父親のディックもミジェットカーやスプリントのレースに出ていたので、その血を受け継いだのかもしれないが、信じられないことに、ドンもビルもル・マンで勝利する1年半前まで一度も自動車レースに出たことがなかった。しかし、スピードには慣れたものだった。二人とも改造した第二次世界大戦中の戦闘機を操るパイロットで、リノ・エアレースで常にトップクラスの成績を収めていたからだ。

転機となったのが1977年のデイトナ観戦だった。自動車レースの虜になった二人は、さっそくレーシングスクールに入り、911カレラRSRを購入する。それを934仕様にモディファイすると、1978年3月に初レースでいきなりセブリング6時間に出走してしまった。クラッシュによってリタイアに終わったものの、レース半ばまでトップ5を走行して懐疑派を黙らせた。次のレースで2位フィニッシュを決めて実力を証明する。2週間後に各自のポルシェで参戦したレースでは、舞台となったロード・アタランタをすっかり気に入り、なんとサーキットを購入してしまった。

裕福なアメリカのプライベートドライバーにとってル・マンは夢の舞台だったから、ウィッティントン兄弟が参戦を望むのも当然の成り行きだった。何事にも"最上"のものを求める二人だったが、すでにポルシェのファクトリーは935の開発を終えていたため、当時レース界で名を馳せていたケルンのクレマー兄弟のもとを訪れた。クレマー・レーシングとしてエントリーする935 K3を購入する契約がまとまったのは、どうやらル・マンの直前だったらしい。

何が起きるか分からないのがル・マンである。本命のグループ6勢(ポルシェ936とコスワース・エンジン搭載のミラージュ)は、タイヤの問題やメカニカルトラブル、アクシデントなどで、真夜中過ぎには、ことごとく優勝戦線から脱落するかリタイアしていた。そして、トップの座を引き継いだのがウィッティントン兄弟のK3だ。そのままリードを守るかに見えたが、レース終盤に大ピンチを迎え、レースは手に汗握る展開となる。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curatorsLabo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curatorsLabo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Delwyn Mallett Photography:Pawel Litwinski 取材協力:ブルース・マイヤー、カネパ・モータースポーツ(www.canepa.com)

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