ポルシェ911から生まれた過激派「ポルシェ935クレマーK3」がル・マン優勝できた理由とは?

1979年クレマー・ポルシェ935 K3(Photography:Pawel Litwinski)



兄弟、豪雨のル・マンで優勝する
私はこのレースを現地で観戦していた。夜になると、ル・マンでは経験したことのないようなどしゃ降りとなり、激しい雨と垂れ込める雨雲のせいで夜が明けたかどうかも分からないほどだった。そんな悪天候の中でもK3は安定したペースで周回を重ねていた。ところが、午前10時35分に場内アナウンスが入り、「ドン・ウィッティントンがユノディエールで止まっています!」と伝えた。2番手を走行していたバーバー/ニューマン/シュトメレン組は突如として活気づいた。あの『明日に向かって撃て!』でブッチ・キャシディを演じたニューマンが本当にル・マンで優勝することになるのだろうか?

しかし、再びアナウンスが入り、ウィッティントンがコース脇で車を修理していると伝えた。ドンは、まだレースを諦めず、燃料噴射ポンプの駆動ベルトを自分で交換しようとしていたのだ。このとき、バーバーがエントリーした935は、K3から14周遅れ(125マイル差)だった。大観衆が固唾を飲んで見守る中、バーバーのポルシェは着々と差を縮めていった。9周分の遅れを取り戻してあと5周差となり、劇的な逆転優勝が見えてきたところで、ルーティンのピットストップに入る。これが運命の分かれ道だった。ピットイン直前にフロントタイヤを交換することにしたのだが、作業中にナットが噛んでしまったのだ。以前にも同じ事態を経験していたチームは、交換用のアップライトを準備していたが、作業終了までに23分を費やした。実に6周分である。

一方、雨の中で1時間以上作業をしていたドン・ウィッティントンは、ようやくK3をピットに持ち帰り、弟のビルにバトンタッチした。最後にシュトメレンが猛然と追い上げて3周縮めたが、そこでレース終了の午後2時を迎えた。通常なら4時がフィニッシュだが、この年はフランスの選挙のためレースは2時間繰り上げて行われていたのだ。

ウィッティントン/ルートヴィッヒ組のクレマーK3がトップを守りきったのだ。グループ5の総合優勝は初めてのことであり、市販ベースの車が優勝したのは1950年代初頭以来という歴史的快挙だった。

グループ5、935の全貌
市販車ベースとはいえ、K3はロードゴーイングバージョンとは比べものにならないほど大きく進化していた。ポルシェはCan-Amシリーズ用の917/30で磨いた技術を元に、1974年に911ターボ(ポルシェ社内呼称:930)とコンペティションモデルのRSRターボを発表。カレラRSRターボは、その年のル・マンで見事2位フィニッシュを果たした。1976年のメイクスチャンピオンシップが新ルールで行われることが明らかになると、ポルシェは911ターボのレース仕様を2系統に分けた。ひとつはGTクラスであるグループ4向けの比較的おとなしいバージョンの934だ。これは、パワーウィンドウや内装トリムもそのままというロードカーに近い姿とした。グループ5のルールは大々的な改造を認めていたため、935はボディワークの幅を広げ、リアタイヤも太くして、"二段重ね"のリアウィングを装着し、誰が見てもコンペティションカーと分かる姿になった。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curatorsLabo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curatorsLabo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Delwyn Mallett Photography:Pawel Litwinski 取材協力:ブルース・マイヤー、カネパ・モータースポーツ(www.canepa.com)

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