夢を翼に乗せて│一度も飛んだことのないブガッティが作った唯一の飛行機

Photography:Bugatti 100P Project

「エットーレ・ブガッティは8000台もの素晴らしい自動車を作ったが、飛行機を製作していたことはあまり知られていない。それはそうに決まっている。なぜなら製造されたのはわずか1機のみだからだ。しかもこの飛行機はただの一度も大空を飛んだことがない。そもそも目にした者がほとんどいないのだから、複製して、実際に飛ばそうという試みがいかに困難なものか分かるだろう。」元アメリカ空軍パイロットのスコッティ・ウィルソンは、このブガッティ100Pプロジェクト、題して「Le Rêve Bleu」(青い夢)についてそう話す。

エンスージアストによるごく小規模のグループで、アメリカとヨーロッパを拠点に、ブガッティが製作したワンオフの実験的飛行機100Pを複製しようと5年間も取り組んできた。オリジナルのほうは第二次世界大戦によって開発途中で終わってしまったが、このレプリカは空へ舞い上がる予定だ。



100Pは、1930年代後半にエットーレ・ブガッティが才能ある航空エンジニア、ルイ・ドゥ・モンジュの協力を得て製作した。目的は正確には分かっていないが、速度記録更新を視野に入れていたことは間違いない。なぜなら、450bhpを誇るブガッティの直列8気筒エンジンを2基、シングル・シーターの葉巻のような細い胴体に前後に並ぶ形で搭載していたからである。さらにこの頃ブガッティは、鉄道車両やモーターボートなどに手を広げていたから、実入りのいい軍との契約をエットーレが目指していた可能性もある。100Pがスピードを念頭に置いて製作されたのは明らかだが、かなり先進的な自動制御装置も搭載されており、速度記録更新だけでなく、軍事物資調達を担当する政府部署に、技術の高さをアピールするねらいもあったと思われる。



スコッティ・ウィルソンがブガッティ100Pの写真を初めて見たのは、1973年、若き少尉だたったの1機だけったときだ。「いつ見ても魅了されっぱなしだった。ただ、現存する場所が判明したのは、私が現役を引退したあとのことだ。飛んだことのない飛行機をほかの人たちと楽しむには、自分たちで作って飛ばすしかない」とスコッティは話す。プロジェクトは2009年に発足。それ以来、大半の仕事を果たしてきたのは様々な協力者だった。そのメンバーは流動的だが、核となるチームはたったの3名。社長のスコッティ・ウィルソン、技術責任者でイギリス在住のジョン・ローソン、広報担当で同じくイギリス人のサイモン・バーニーだ。資金は、「Kick Starter」というウェブサイトを通して募金の形で集めた。様々なプロジェクトを支えているサイトで、年々成長している。ジョンの推計では、Kick Starterによって実質3万ドルは確保できたという。

複製版100Pの外観は、オリジナルと寸分違わない。製作技術も当時と同じで、バルサ材を堅木の層で挟み込み、金具で固定している。最も大きな違いは、動力だ。当時100Pに搭載されていたのは、ブガッティ・タイプ50Bのスーパーチャージャー付き直列8気筒。レーシングカー由来の高価なエンジンで、マグネシウム製の部分が多かった。当時の略図を見ると、このエンジンを2基、ほぼ一列に搭載。わずかに外向きに配置され、それぞれのドライブシャフトがパイロットの両側を通るようになっている。それが機首のギアボックスにつながって、別々のギアが2重反転プロペラを回す仕組みだった。

オリジナルのエンジンは2基ともブガッティ製の自動車に搭載されて現存している(3基目のスペアエンジンは以前シュルンプ・コレクションだった)。だが、それをこのプロジェクトで使える可能性は皆無だ。たとえ使用が許されても、ヴィンテージのブガッティ・エンジンを積んだ高速の実験機に命を託すのは賢明ではないだろう。レプリカ機は、代わりにスズキのバイク「隼(HAYABUSA)」の4シリンダーエンジン、出力約200bhpを2基搭載する。



隼のエンジンは使用前に内部までチェックし、ベンチテストも行うが、通常のチューンで、しかもレギュラーガソリンで動かす。それでもパフォーマンスは十分過ぎるほどだ。「破りたい唯一の記録は、飛ぶ姿を観る人の数だけ」と、スコッティは少し申し訳なさそうな笑顔を見せる。100Pの複製はオクラホマ州タルサで製作されてきた。しかし今は、「アート・オブ・ブガッティ」展の一環として、カリフォルニア州のミューリン自動車博物館で2014年の初秋まで展示されている。その後タルサに戻り、地上走行テストに向けてエンジンを搭載する予定だ。メンバーは、2014年末までにこの飛行機を飛ばしたいと考えている。実現すれば、ブガッティのデザインした飛行機が史上初めて空を飛ぶことになる。

第二次世界大戦で製作を中止せざるを得なくなったとき、オリジナルの100Pは完成目前だったようだ。組み立ては、パリにあるブガッティの作業場で1938年に始まり、1940年夏まで続いていた。そのとき、パリがドイツに陥落したのだ。100Pは、安全に保管するため市内の北部にあった城に移された。エットーレ・ブガッティは1947年に死去。100Pはそのまま放置され、忘れられてしまう。1958年に初の国際ブガッティ・ラリーが城を訪れたときでさえ、この飛行機を見ようとした者はほとんどいなかった。

唯一の例外は、飛行機マニアの2人の兄弟だった。城に住んでいた伯爵夫人(エットーレの末娘リディア)に何度も熱心に頼み込み、ついに念願叶って実機を目にしたときのことを、兄弟の1人がこう振り返っている。「広大な庭園の自然の中に納屋があり、水たまりの周りをニワトリが走り回っていた。扉が開くと、そこに100Pがあった。茶色い包装紙が何枚もかぶせられ、翼の上にはニワトリの足跡がいたるところに落ちていた……」

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation:Shiro HORIE 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Mark Dixon

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