夢を翼に乗せて│一度も飛んだことのないブガッティが作った唯一の飛行機

Photography:Bugatti 100P Project




その後、1960年にセルジ・パッツォーリが100Pを購入し、さらに売りに出した。手に入れたアメリカ人コレクターのレイ・ジョーンズが米国へ運ぶ。移動の際にエンジンを取り外してブガッティの車に搭載し、3基目のスペアエンジンはシュルンプ兄弟に売却された。1971年、ジョーンズはエンジンのない100Pを有名なアメリカ人コレクターのピーター・D・ウィリアムソンに6000ドルで売却。タイプ57SCアトランティークも所有していたこのエンスージアストは、1975年から1979年にかけて100Pの外観をレストア。さらには、年老いたルイ・ドゥ・モンジュに助けを請うて、失くなっていたパーツもいくつか製作した。

だが結局100Pが完成することはなかった。ウィリアムソンは1966年に、ウィスコンシン州オシュコシュにある実験航空機協会(EAA)に飛行機を寄贈する。この組織は、飛行機を製作したりレストアしたりする者すべてを受け入れており、特に第二次世界大戦中の軍用機については、盛大な航空ショーを開催してオシュコシュの代名詞となっている。EAAは、100Pに2度目のレストアを施し、1938年に始まった仕事をついに完成させた。



スコッティはEAAのスタッフへの賛辞を惜しまない。「この飛行機を作ろうと決めたとき、私たちが本気だと分かると、赤絨毯を敷いて歓迎してくれた。飛行機本体やオリジナルの図面、スペアパーツへのアクセスを完全に認めてくれたんだ」


ジョン・ローソンはプロのモデラーでエンジニアである。スコッティと同じように100Pのレプリカを作ることに魅了されて、プロジェクトに参加するようになった。きっかけは、少しでも資金集めになればと手作りの模型を提供したことからだった。だがすぐに、もっと重要な役割を任されることになる。ユニークなギアボックスの設計と製作だ。ジョンはイギリス空軍で鍛えられた元航空エンジニアだから、うってつけの人材だった。


「オリジナルのギアボックスは少なくとも2つ現存している」とジョン。「ひとつはオシュコシュにある飛行機に搭載されているので、詳しく調べるのは難しい。もう1つはフランスにある。フランス人メンバーのフレッド・ギャソンが許可を取って、その写真をたくさん撮ってくれた。結果としてその写真を元に寸法を割り出すことができた。飛行機の中にぴったり収まる大きさで、すき間が10mmしかない箇所もある。だが、完成したユニットをつり上げてレプリカに入れてみたら、一発ではまったよ」

オリジナルのギアボックスは鋳物だが、レプリカは合金の鋼片から機械加工で作り出した。ギアとドライブシャフトは特殊なスチール合金。後方プロペラ用のシャフトは特に芸術品で、中空になっており、前方プロペラのシャフトがその中を通る。

オリジナルにあってレプリカで再現していない装置がひとつある。少なくとも、今のところは、であるが。ブガッティの飛行機は、フラップと着陸装置の昇降をアナログなコンピュータの原型のようなもので自動制御するよう設計されていたのだ。スロットルの位置と吸気マニフォールドの圧力、飛行速度を計測し、それを元にフラップを調整、適切な揚力や空気抵抗を発生するというものだ。また、速度が一定以下に下がると着陸装置が展開するようになっていた。




「同様のシステムが飛行機に搭載された例をよくよく探してみたが、F-16まで見つからなかった」とスコッティ。F-16は、アメリカ空軍に配備された1970年代の最新鋭戦闘機だ。こうした機能を100Pに搭載したことからも、単なる記録更新をねらった飛行機ではないことが分かる。目的が速さの追求だけなら、この機能によって加わる重量や複雑さは無用の長物のはずだ。100Pに備わったこれ以外の先進技術は、すべて忠実に再現されている。前方に反った翼やY字型の尾翼は未来的だが、空力的にも完璧に理にかなったものだ。翼が前方に反っていることで、本体との取付け部分が機体の重心を保つ上で最適の位置になっている。2基のエンジンの搭載位置から、重心は前寄りでなければならないのだ。Y字型の尾翼は、従来のT字型を逆にすることで、空気抵抗を減らす巧妙なアイデアだ。このデザインは、軽飛行機ビーチクラフト・ボナンザで実用化され、1947年から1982年まで採用されていた。

特に注目すべきは、エンジン2基の冷却システムである。ラジエター上を空気が流れると大きなドラッグになりかねないが、ルイ・ドゥ・モンジュは画期的な解決法を編み出した。空気による冷却効率を上げるには、流速を落とす必要があることをつかんだドゥ・モンジュは、尾翼のスロットから空気を取り込み、胴体内部のダクトで前方に流すことで流速を落とし、主翼の表面後方から排出するようにしたのだ。これには気流を良くする効果もあり、600~700㎞/hで空気抵抗がゼロになる計算だった。




皮肉にも、1930年代は航空工学が急速に進歩した時代だった。たとえ100Pが飛行距離100㎞での速度記録更新に挑戦できていたとしても、新記録を樹立することはなかっただろう。1939年にメッサーシュミットのプロトタイプが755㎞/h(469mph)という記録を打ち立てたが、そのとき100Pはまだ完成にはほど遠い状態だったのだ。そもそも、速度記録樹立は念頭になかったのかもしれない。パワーもメッサーシュミットの半分ほどだったし、既に翼を小型化した110Pの計画があり、こちらのほうが速かっただろう。しかし、どの時代をとっても、ビジュアルのインパクトと革新的な新技術が100Pほど見事に組み合わさった例はなかなか見つからない。「一度も飛んだことのない歴史的に最も重要な飛行機」というスコッティの言葉通りである。

スコッティがとりわけ喜んでいることがある。100Pを設計したルイ・ドゥ・モンジュを大叔父に持つラディスラ・ドゥ・モンジュがプロジェクトに参加したのだ。2011年には3カ月にわたってタルサに滞在して製作を手伝い、会うことのなかった大叔父との絆を確かめた。こういった大勢の人々の情熱と献身のおかげで、われわれも100Pがその実力を初めてあらわにする姿を目撃できるかもしれないのである。あとは、マーチ卿が2015年のグッドウッド・リバイバルに100Pを招待してくれることを願うのみだ。

ブガッティ100P
エンジン形式:ブガッティ・タイプ50B(4739cc、直列8気筒、DOHC)2基
ルーツ式スーパーチャージャー
アルミニウム/マグネシウム製(レプリカ:スズキ隼〔1340cc、直列4気筒、DOHC、燃料噴射式〕2基)
最高出力:各約450bhp/4600rpm
(レプリカ:各197bhp/10100rpm)
変速機:ギアボックスを機首に搭載
ギア比は入力軸2本:2重反転プロペラ用同心出力軸=31:48
燃料容量:265ℓ、主翼と胴体の燃料タンクに分散
機体重量:1400kg(100km速度記録用の燃料搭載時)
(レプリカ:約1065kg) 最高速度:約650km/h

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation:Shiro HORIE 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Mark Dixon

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