コリン・チャプマンを良く知る人物にインタビュー│DFVレースエンジンの背景も

Images: Mark Dixon,Octane UK

レースシーンにおいて偉大な影響力を持ったコスワース。その経営者の一人であるマイク・コスティンがDFVレースエンジンの背景にあるストーリーと、かの有名なコリン・チャプマンとの仲について語る。

その昔、未来は明るい話題に溢れていた。コスワース (Cosworth)の創業者の一人であるマイク・コスティン。コスワースの「コス」側の人物である。彼にインタビューしてみると、彼が実に陽気で、そして話好きなタイプだということがわかった。数十年前のできごとを少しずつ思い出しては、様々なエピソードを加えて話してくれる。

まずは、コリン・チャプマンのパイロットとしての才能について語ってくれた。



「とても有能だが、燃料に関しては限界まで追い込む男だったね。」そう言うとすぐに目を天井に向けて、今度はDFXチャンプカーエンジンを2台装備したスピードボートに思いを馳せる。「ナイトラス・オキサイドを使ったら、すんなりと水から上がることができたよ…」

こんな調子で、どの話も大きな声で笑いながら、話の結末がよくわからないまま終わってしまう。コスティン氏の前では、誰しも笑顔にならずにはいられないだろう。

彼自身についても気取らず率直に話をしてくれる。コスワースは、モータースポーツの伝説を語るうえでとても重要だ。F1マニアなら、すぐにこのエンジンが搭載されたマシンのデビュー戦、つまり1967年オランダGPで優勝したジム・クラークの姿が目に浮かぶはずだ。このデビューウィンを果たしたエンジンを含め、1983年までにDFVシリーズのパワーユニットはGPレースで154勝をあげた。ラリーファンなら、森のステージを飛ぶように駆け抜けるBDA搭載のフォード・エスコートを思い出すだろう。あの平たい車体が発するバンバンバンとはじけるような独特のサウンドは強烈なインパクトだった。フレーム・スピッティングツーリングカーの生産、インディでの圧勝、ル・マンでの栄光など、ノースハンプシャーの有能なエンジンビルダーにとって、不可能は何もなかった。自慢話にしてもおかしくないこの輝かしい功績を、コスティンはすべて共に働いてきた仲間たちのお蔭だという。

「私がこの世界に入ったきっかけを話そう。私はモーターレースにそれほど興味があったわけではない。どちらかというと私の兄、フランク(航空力学者)のように飛ぶことのほうに興味があったのだが、サーキットで車を走らせてみたいという想いもあった。

1950年代初期、モータースポーツを始める道はふたつだけだった。ひとつは車を買うこと、もうひとつは自分で作ること、そのどちらかしかない。当時、私のような人間が手に入れることができるのはオースティン・セブンだけでね。でも、ちょうど750モータークラブなどが手ごろなキットカーでのレースを推進していたので、私の情熱はエンジニアリングの方向にどんどん傾いていった。」

「私はこのクラブを通して、チャプマンを知った。『知った』と言ったのは、1953年にロータスで働くようになるまでに彼に会ったことは、1度か2度しなかったからだよ。コリンはまだブリティッシュ・アルミニウムで働いていて、私はデ・ハビランドの設計オフィスにいた。コリンは共同出資者として共に働いていたマイケルやナイジェル・アレンと仲たがいし、MK-6のオーダーを完成させるための助人が必要だった。そして私たちは1955年 1月、共にフルタイムで働くことにしたのさ。」



コスティンのこの方向転換は、予想通り彼の兄を困惑させた。「フランクと私は正反対な性格なのだよ。私は真面目で現実的だった。だけどフランクは根っからの航空機ファンでね。つまり彼は『地に足がつく』ことは決して好まなかった(笑)。とにかく、フランクは"僕たちは航空機に関わる人間だろう"、と言って、私が車なんかにかまけることを理解しようとはしなかった。だからコリンが空気力学の原理を応用した車を作ろうとしていた時、逆に私は兄を巻き込んでしまった。」

「1954年のことだった。コリンが作ったMK-8の試作品を見たとき、私は正直なところ良いとは思えなかった。そこで私は、その頃チェスターのデ・ハビランドで空力飛行試験の担当をしていたフランクのところへ行き、彼の意見を聞いてみたのだが、結局それがきっかけでフランクはボディワークにたずさわることになったわけだ。コリンとはそれ以降も様々な車づくりで関わることになった。コリンは抜群に性格が良かったんだけどね、でもビジネスセンスは皆無。それは私も同じ(笑)。だからキース・ダックワースというパートナーの登場となったわけさ。」

ダックワースとは、コスワースの「ワース」側の人物である。コスティンはキース・ダックワースの類まれな才能を初めから見抜いていた。「1957年、コリンがキースを雇い入れ、私は彼の上司になった。彼はカレッジを卒業したばかりで、確かに賢かったよ。彼が作るものは、はじめから正確に機能した。それはエンジニアリングの世界において有り得ないことなんだ。ほとんどの製造業者が廃棄率10%を許容範囲としていた時代に、ロータスの廃棄率は約2%まで下がり、それが利益の源泉になった。また、コリンはどんな問題にも迅速な対応を求める厳しさがあった。私は解決のためにとりあえず手を動かすタイプだったが、キースは違った。彼はコリンが何と言おうと自分でじっくり考えて仮説が立ててからしか行動しなかった。いつしか私は"一緒に仕事するならば彼だ" という確信をもつようになった。彼と力を合わせることは、ごく自然の流れだったわけさ。」

編集翻訳:渡辺 千香子(CK Transcreations Ltd.)  Transcreation: Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.) Words: Richard Heseltine

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