コリン・チャプマンを良く知る人物にインタビュー│DFVレースエンジンの背景も

Images: Mark Dixon,Octane UK



コスワースがたった一度だけ、一から全てを作ろうとしたレーシングカーについてたずねると、彼は実に不機嫌そうな顔をしてこう言った。

「1960年代の後半、みんなが熱狂しはじめたのが4輪駆動(AWD)だった。ロータス、マトラ、その他すべてのメーカーがAWDを作ろうとしているけれど、どのメーカーもヘマばかりしている。だから、自分たちがもっとましなマシンを作るべきだというのがキースの主張だ。私たちはマクラーレンのロビン・ハードを雇って、設計を依頼してみた。スプリット式ディファレンシャルはキースによって設計され、それ自体はまったく問題はなかったと思うが、そのマシンのテストも私がステアリングを握ることになった。そりゃもう無茶苦茶なマシンだったよ。間もなくロビンは、マックス・モズレーと共にこのプロジェクトを辞めると言い出したんだ。マーチを
作るために、ってさ。」

これにより1969年、トレバー・テイラーを指名ドライバーとしてのイギリスグランプリへのエントリーは取り消された。「キースは"そんな車は売ってしまえ"と吐き捨てた。トム・ウィートクロフトが、エンジン無しのシャ―シを、確か4000ポンドくらいで買っていったっけ。」

これは黄金時代のささいな勇み足に過ぎない。けれどもコスティンは過去の栄光にいつまでもすがろうとはしないタイプのようだ。

「私たちは、そこそこ、うまくやったと思うよ。」 彼は幾分あっさりとしすぎる感じでこう言った。

「私は1990年7月まで働き続けた。今はゴルフをしたり、飛行機やグライダーを操縦したりと、時間をたっぷり楽しんでいるのさ。」

この愛すべき80歳代は、2005年に他界したダックワースにいつまでも敬意を表し続ける。また同様に惜しみない賛辞をベン・ルードに贈っている。



「ベンはもともとバイク乗りで、素晴らしいエンジニアだった。そして彼とキースは心の底から理解し合っていたようだ。ベンは私たちの成功にとって非常に重要な役割を果たしてくれたんだが、コスワースの社名に彼の名前が入っていないので、忘れられがちなのが申し訳ない。」

最後に、社名について他に案はあったのか、聞いてみた。一瞬、間を置いた後、彼は口を開いた。

「特になかったな。もしコスワースにしていなければ、やはり2人の名前をとって、『ダックティン』になっていたんじゃないか。」

「ただねぇ、コスワースエンジン搭載のシエラとエスコートを『コッシー』と呼んでくれる人が多いのだが、もし『ダッキー』という愛称になっていたら、快く思う人は、あまりいなかったような気がするけどね…。」

編集翻訳:渡辺 千香子(CK Transcreations Ltd.)  Transcreation: Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.) Words: Richard Heseltine

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