ベントレー創始者が成し遂げた最も偉大な業績は「戦闘機エンジン開発」だった!?

戦場のベントレー(Archive Picture : Chronicle / Alamy Stock Photo)

今を遡ること約一世紀、W.O.ベントレーの航空機エンジンが西部戦線へと飛び立った。スティーヴ・ムーディが著したW.O.の航空機エンジンの物語は、ベントレーモーターカーを成功に導く布石として、ベントレー・ストーリーに大きな役割を果たすことになる。

英国では一般にグレートウォーと呼ばれる第一次大戦が勃発した1914年、弱冠26歳のウォルター・オーウェン(以下W.O.)・ベントレーは自分が英国民としてこの戦争で何をすべきかを考えた。すでにエンジニアとして鉄道と自動車の専門知識を持っていた彼は、それを活かすことが一歩兵として従軍するより国の役に立つと考えた。

ピストンの軽量化
W.O.は兄のホレース・ミルナー・ベントレーとともに、英国代理店としてラコック&フェルニー社でフランス製のDFP車を販売していた。あるとき、フランスにあるDFP社のオフィスで、アルミ製のピストンがペーパーウエイトに使われているのを見たW.O.は、これに着想を得て、銅12%、アルミニウム88%の合金を使ったピストンを開発した。彼はこのピストンとモディファイしたカムシャフトを組み込んだDFP車で、ブルックランズのコースレコードを含むいくつのもレース、スピードトライアル、耐久レースなどで大きな成功を収めた。だが、ピストンの軽量化については秘密にしていた。

W.O.は、軽量ながら高出力、高い耐久性という特徴は、航空機エンジンの理想であると考えていたが、これを実際に装備品の性能向上に活かすためには、海軍省内部にもこの考えに賛同してくれる人物が欠かせないと考えた。そこでW.O.は、軍と製造業者の正式な連絡係である、司令官ウィルフレッド・ブリッグズに連絡をとった。果たしてブリッグズ司令官は、W.O.が見抜いたように理解力に長け、また他の海軍省オフィサー連中のように偏屈ではなく、すぐさまW.O.のピストンが有利であることを理解してくれた。早速、ブリッグスはW.O.をロールス・ロイス社の航空機エンジン部門で実験部門の責任者であったハイブズ卿に引き合わせた(ハイブズ卿は後にRR社社長に就く)。ハイブス卿はテストでW.O.が提案した軽合金ピストンが好成績を収めたことを確認すると、シルバーゴースト用の直列6気筒7.4リッターをベースとした、V型12気筒のRR初となる実用航空機エンジンの"RRイーグル"に採用した。このエンジンには、RRのSV型ではなく進歩的なSOHCレイアウトが採用された。そのヒントは英国でのレース後に展示されていたまま、開戦によって英国軍に捕獲された1914年製メルセデス115HPグランプリカーに搭載されていたダイムラーDF80型7.2リッター航空機エンジンから"借用"したものだった。20年後のマーリンエンジンにも、この特徴がいくつか認められる。

編集翻訳:小石原耕作 Transcreation:Kosaku KOISHIHARA Words : Steve Moody Colour Photography : Jamie Lipman Archive Picture : Chronicle / Alamy Stock Photo 取材協力:アラン・ボッドフィッシュ(W.O.ベントレー記念財団)、ヘンドン英国空軍博物館、ストウ・マリーズ第一次大戦航空博物館

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