イギリスが生んだ偉大なドライバー デレック・ベルに聞く栄光の日々

Photography:Delwyn Mallet and Getty Images



不思議なことに、キャリア初期にポルシェで実績を残していたにもかかわらず、デレックが公式にワークスチームのドライバーとしてエントリーしたのは、1980年ル・マン24時間レースだった。924カレラGTRトリオの1台で、ベル/アル・ホルバート組は、日曜の朝に5番手まで上がっていたが、バルブ焼けによって13位に終わった。デレックは今もこの車のロードバージョンを所有している。50台のうちの1台で、レース後にファクトリーから贈られたものだ。

1981年も請われて、今度はジャッキー・イクスと組み、もう少し力のある車を任された。ジュールがスポンサーについたその936が勝利を遂げた瞬間こそ、キャリアのターニングポイントだったとベルは振り返る。このペアは、続く1982年もロスマンズ956でル・マン優勝を果たした。



そこからデレックのキャリアが後戻りすることはなかった。1980年代はポルシェのワークスドライバーとして、935や956といった秀作車や、ほとんど負けなしだった962などを駆って、とてつもない数の成功を積み重ねていった。最終的にポルシェワークスで挙げた勝利数は30以上に上り、ル・マンで5勝、デイトナ24時間で3勝、世界スポーツカー選手権では1985年、1986年と2連覇を果たした。ロスマンズ・ポルシェは1988年にそのプログラムを終えたが、同じ年にポルシェから引退したヘルムート・ボット教授から、こう言われたことをベルは覚えている。「デレック、君はほかのどのドライバーより多くの優勝をポルシェ・ファクトリーにもたらしてくれた」

ベルのレースキャリアは1990年代も続いたが、活躍の場はほとんどがアメリカだった。「前ほど必死ではなかったよ。なんでも運転したのは、レースを続けたかったからだ。こっちなら、年を取っても不利になることはない。スポンサーは、ちょっと個性的な年寄りのほうを好むくらいだ」

1990年代後半、デレックはその人柄と話術でF1コメンテーターとなり、ESPNスポーツチャンネルやFoxといったアメリカのテレビ局で仕事をした。これがきっかけとなり、スピードビジョン・ワールドチャレンジGT選手権シリーズでは、ドライバー兼車内コメンテーターを務めた。

「1年目はBMWでレースした。車内に3台か4台カメラをつけて、レース中に話しかけられるんだ。すごくウケたよ。当時アメリカでは誰もそんなものを見たことがなかったからね」そこでベルは言葉を切ると、思い出し笑いをした。「だが1度、ラグナ・セカで大クラッシュをしたんだ。誰かに追突されてダートに飛び出し、砂煙をもうもうと上げながら回転した。コルベットやらマスタングやらに寄ってたかってぶつけられて、ドカンさ。車は跡形もなくなって、ただシートに座った私だけが残ったんだ。ジャスティン(デレックの息子でそのレースにも出走していた)はモーターホームのテレビで全部見ていた。慌てて飛んできて観客席のフェンスを跳び越え、『父さん、大丈夫なの』って叫んだよ」幸いにもベルは「大丈夫」で、その後も数シーズンにわたって元リチャード・ロイドのアウディS4クワトロで参戦を続けた。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA  Words:Delwyn Mallet 

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