「ブリキのカタツムリ」と呼ばれ酷評されたフランスの名車とは?

Citroen

2CVは文句なくアイコンである。これほど不格好だと笑い物にされた車もない。"ブリキのカタツムリ"が1948年のパリ・サロンで発表されると、フランスの新聞は「メタリックグレーの醜い小型車」と揶揄し、イギリスの自動車誌も「質素倹約にマゾヒスティックなまでの情熱を燃やすデザイナーによる作品」と酷評した。だが、こうした評価は的外れである。骨まで肉をそぎ落とした2CVは、時代と市場のはるか先をいっていた。

いわれのない批判はこの辺にしておこう。本当のところは、2CVは史上最も非凡なる設計理念の結晶であった。1935年、田舎へ出掛けたシトロエンの社長ピエール-ジュール・ブーランジェは、農夫が馬や荷車から乗り換えたくなるような車を造ろうと思いつく。ブーランジェが課した条件はこうだ。車重は300kg以下で、乗員4人あるいは2人とジャガイモ50kgを運ぶことができ、燃費は24㎞/ℓほど。どんな荒れ地も走行可能なサスペンションを持ち、篭に卵を詰め込んで耕した畑を走っても、1個も割れずに運べるほどのしなやかさを備えること。

完成した車は、自動車への課税区分から2CVと名付けられ、素朴ではあるが汎用性に富み、洗練された画期的な車になった。巻き取り式のキャンバストップと取り外し可能なハンモックシートによって、山ほど荷物を積み込むことができる。前輪駆動で、前後関連懸架式の四輪独立式サスペンションは独自に開発したものだ。これで軽快な乗り心地と並外れたグリップを実現した。スピードは遅く、当初の最高速はわずか70㎞/hだったが、これで問題はなかった。当初のエンジンは出力9bhp、排気量375cc、空冷水平対向2気筒のアルミ合金製ユニットだ。設計者は元タルボ-ラーゴのエンジニア、ワルテル・ベッキアで、あらゆるタイプの酷使に耐え、1日中でも全開で回り続けるエンジンを目指した。その後、1954年に425ccに拡大され、1970年には435cc(2CV4)と602cc(2CV6)が登場した。

2CV6の広告を覚えている人もいるだろう。謳い文句は「0-60mph加速:可能」だった。1949年に出荷が始まると、まだ貧しい戦後のフランスに低コストの2CVは見事に嵌り、1950年になっても2年待ちが続くほどの人気を博した。1990年の生産終了までに、フランスのみならず、チリやアルゼンチン、ポルトガル、英国などで累計500万台が製造された。

2CVに対する評価は常に真っ二つだった。1953年、同じイギリス誌でも『Motor』誌は「ほぼあらゆる美点が揃っている。足りないのはスピードと静粛性、そして格好良さ」としたのに対して、『Autocar』誌は「飛び抜けてユニークなデザイン。モデルTフォード以来のオリジナリティ」と称賛した。洞察に富むコメントで知られるL.J.K.セトライトは、のちに「車として成功した史上最も頭脳的なミニマリズム」との賛辞を送っている。

今日、これほど安く、また容易に維持・管理できるクラシックカーはほとんどない。引退したヘッジファンドの重役も乗るようになり、かつての烙印がようやく消え、偉大なる大衆車として正当に評価されるようになった。

2CVこそ真のアイコンであり、自動車における"シンプル・イズ・ベスト"の究極形だ。


英国での価格

英国で発売された当時、2CVを購入したイギリス人はよほどのフランス贔屓だ。右ハンドル仕様の製造が英国スラウ工場で始まった1953年に価格が565ポンドだった。これに対して、英国車で最も安いフォード・ポピュラーは390ポンドで買うことができたから
だ。さらにオースティンA30は2CVより100ポンド近く、モーリス・マイナー・サルーンは4ポンド安かったのだ。

1974年に602ccで再登場した2CVの価格は、899ポンドとライバルとの差が縮まった。ヒルマン・インプより安く、フィアット850と同程度。それでも、ベーシックなミニ850やフィアット126と比べるとまだ50ポンド高かった。だが、コストパフォーマンスでは2CVが勝っていた(ロールスロイス・シルバーシャドーの1万4000ポンドとは比べるまでもない)。

オクタン日本版編集部

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