モータースポーツを芸術として写した人物が当時を振り返る

octane UK

モータースポーツのスチール写真を芸術の域にまで高めたのがジェシー・アレクサンダーである。その手法とはどんなものか、じっくり語ってもらった。

1954年春、ジェシー・アレクサンダーは若い妻とともにアムステルダムに向けて出港した。妻の手には幼い娘の手が、彼の手にはレンジファインダーの35mmライカがしっかり握られていた。モータースポーツ・フォトグラファーとして必ず成功するという大志を抱いての旅立ちだった。きちんとした撮影技術を身につけたわけではない。レースの世界にコネがあるわけでもない。カメラひとつでどう生計を立てていくか、手探り状態での渡欧だった。あったのはロードレーシングへの情熱、それだけだ。



「どうしたらよいのか正直わからなかったよ」恥ずかしそうな笑みを浮かべてアレクサンダーは当時を振り返る。ここはサンタバーバラの近く、太平洋にほど近い彼のフォトスタジオだ。

アメリカ在住時代、カリフォルニアのローカルレースやカレラ・パナメリカーナなどを撮影して回ったが、やがて撮影の舞台をヨーロッパに移す。ヨーロッパでの初仕事は『スポーツカー・イラストレーテッド』のために撮ったポルシェ356のポリスカーだった。『カー・アンド・ドライバー』ではモーフィングまで請け負ったが、それがきっかけで同誌のヨーロッパ特派員になった。1960年代の終わりにアレクサンダーはサンタバーバラに戻り前妻と離婚、現在の妻ナンシーと再婚する。そこから彼の第二の人生が始まる。50年代と60年代のロードレーシングの象徴的なシーンをファインアートとして捉えるフォトグラファーとして名声を高めていくのだ。

1971年、『ロード&トラック』の編集長ジョナサン・トンプソンが、世界のレースシーンを収めた本を出版する話を持ちかけてきた。それはコーヒーテーブルほどもある大判で、全篇フルカラーという豪華本だった。タイトルは『AtSpeed』、これまでのモータースポーツ写真集とは一線を画す、ファインアート作品集だった。

そのときはまだ自信が持てなかった。「自分自身をアーティストというには無理があった」しかし『At Speed』が刊行されるや、彼の作品展があちこちで開かれるようになり、さらに開催地のひとつ、サンタバーバラ・ミュージアムの館長は1982年、アレクサンダーの50~60年代の作品を集めた写真集を作らないかと誘ってきたのである。『Looking Back』と銘打ったその本は彼好みのモノクロ写真で構成された。カラー写真は見る人の注意をそらすという信念があったので大賛成だった。それだけでなく、本のつくりも単に事実を記録したそっけないものではなく、扉ページなどの飾り模様をレース仲間が手作りしてくれたのが何よりうれしかった。



ジェシー・アレクサンダーとウォルフガング・フォン・トリップス。モデナ・テストコースにて

「私の仕事を語るとき、もっとも的確な言葉は『感性』だと思う」とアレクサンダーは言う。事実、どんなに派手なアクションショットよりも彼が撮ったポートレートは共感を呼ぶ。現代の目で見てもだ。ドライバーの顔には喜びや競り合ったときの緊張が刻まれるが、彼の作品には人間の喜怒哀楽が溢れている。

スタジオの壁には作品が何枚か飾られている。1枚はベルギーGPを戦い終えたジム・クラークだが、レースには勝ったものの何か気にかかるものがあるような表情はほかでは見たことがない。フィル・ヒルがアメリカ人で初めてF1チャンピオンになったことを祝うセレモニー中、彼が退屈そうにしている写真もあれば、ファンジオが自身の最後のレースで走行中のマセラティ250Fから顔を後ろを向けている写真も飾られている。ファンジオの目はカメラを見ているようでもあるが、彼が戦ってきた過ぎ去りし時代を振り返っているようでもある。

現在までにアレクサンダーは7冊の本を出版、最新刊はモナコGPを題材にしたものだ。今後は彼の人生を取り上げたドキュメンタリー映画の計画もあるとか。85歳になるアレクサンダーだが現在、356でレースを渡り歩いたときに撮り貯めた写真をもとにしたヨーロッパ旅物語に勤しんでいるところだという。レースの写真はというと、時折ヴィンテージレースを撮りに行ったりすることはあるが、今日のレースには興味がないという。「レースの内容そのものが、あの頃とはまったく異質のものになってしまったからね」というのが理由だ。そしてこう締めくくった。「当時はわからなかったけれど、 一番面白かった時代が私の仕事でもピークのときだったんだろう。情熱とエネルギーのすべてを投入できたなんて、私はなんて幸運だったんだろう」

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Preston Lerner

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