ヴォアテュレット E.R.A. | JACK Yamaguchi's AUTO SPEAK Vol.11

E.R.A.社を買収したレスリー・ジョンソンのE-type。ドニングトン・グランプリ・ミュージアム。(John Chapman Wiki)



番外編:Gタイプ、"マキシミン"、ミニE.R.A.
番外編としたのは、レイモンド・メイズ、ピーター・バーソンのボーンE.R.A.とは別組織の話題だからだ。ジョンソンの新E.R.A.は、メイズ邸敷地を離れ、英東部ベドフォードシャー・ダンステイブルに移った。3個の輪にE、R、Aの文字を入れたエンブレムは継承したが、『エンジニアリング・リサーチ&アプリケーション』と改名した通り、大手メーカーの研究開発委託が主業務となる。

第二次大戦直後、多くのドイツ人技術者が連合国に渡り、強制、あるいは自主的に研究開発に携わった。新E.R.A.チーフエンジニアとなったロベルト・エベラン・フォン・エーベルホルスト教授もそのひとりだ。彼は戦前のアウトウニオンGPカー、Dタイプの設計者で、戦中は、Vロケット開発にも従事したという。

戦後、教授が指導したのがE.R.A.が委託した開発車、ジョウエット・ジュピター・スポーツカーだ。水冷対向4気筒エンジン、鋼管製梯子フレーム、前輪トーションバースプリング式独立懸架など、戦前型GPカーの遺産的だ。ジュピターは、1950〜54年に900台あまりが販売された。

同時期、フォン・エーベルホルストと弟子の英国人設計者デイヴィド・ホドキンは、まったく新しいGPカー、E.R.A.Gタイプを設計製作した。フロントエンジン、トランスアクスルの後輪駆動車で、深い楕円断面を持つマグネシウム製サイド/クロスメンバー・フレーム(わずか43kg)、低い姿勢を得るためにドライバーの横にプロペラシャフトを配置したレイアウト、前輪ダブルウィッシュボーン、後輪ド・ディオン式サスペンションを採用した。エンジンはブリストルが生産化したBMW328直列6気筒を搭載した。

1952年の初戦、ベルギーのスパ・フランコルシャンでスターリング・モスが乗ったが、ガジョンピン破損でクラッシュした。その後の戦績も振るわず、現車と設計図すべてをブリストル社に売却した。ブリストルは空力技術を駆使したクローズドボデイを架装し、1953年ル・マン24時間、ランス12時間、モンレリー速度記録に出場し、ランスとモンレリーでは成功を収めた。

デイヴィド・ホドキンは、興味あるプロトタイプを設計・製作した。英国の自動車メディアは、1950年代の英民族系大同グループであったBMCの量販車が旧態化しきっていると批判していた。行きがかり上、この声に反応しなければならなかったBMC首脳は、ボトキンに中型6人乗りセダンを試作させた。それは、ヨーロッパで増えていたリアエンジン車だが、オースティンのディック・ブルツィが手掛けたデザインは、逆スラント・リアウィンドウを備えた奇妙なアメリカ風であった。すでにイシゴニスのADO15ミニ開発が進んでいたので、この"マキシミン"は中止となる。


ADO15ミニのターボ高性能版、ERA。(KY)

文、写真:山口京一 Words and Photos:Jack YAMAGUCHI

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