パリの古書店で入手した1908年の自動車カタログ|AUTOMOBILIA 第7回

ベルリエのカタログ表紙(Photos:Kumataro ITAYA)



馬なし馬車
ここで少しだけ脱線を。それは夏目漱石の「吾輩は猫である」。またまた父の話で恐縮なのだが、戦時中、大きな空襲に遭遇した際、彼が持ち出したのは一組の書籍だった。気が動転していたのかもしれない、と述懐していたが、その書籍とは夏目漱石の「吾輩は猫である」全三巻。わたしがまだ中学生の頃、ボロボロになった「吾輩は猫である」を譲られた。その時の言葉は今も耳に残る。父いわく、「吾輩は猫である」、は橋口五葉による挿絵が素晴らしい。読まなくとも、挿絵だけで充分にたのしむことができる。

今回紹介するカタログ二点は、どちらもパリの古書店で入手したもの。正直、クルマ自体には全く魅かれなかったのだが、カタログ画にすっかり魅せられてしまった。その際の様子を少しだけ再現してみよう。

件の古書店は、パリで19世紀末から続く自動車関連の資料だけを扱う店で、三代目にあたる母と四代目を継ぐであろう娘のふたりが切り盛りしていた。思えば東京や神戸にも、かつては良質なオートモビリア専門店が存在した。青山の新居美術もそのひとつで、40年近く前にルネ・ヴィンセントによる大きなブガッティのポスターを見せられたのも、新居美術だった。当時わたしはまだ学生で、そのポスターは高額すぎて手がでなかったが、ルネ・ヴィンセントの名は深く刻み込まれた。

それから約25年、今から15年ほど前は仕事でよくパリに出かけていた。パリで時間ができると、あししげく自動車専門古書店に通う。和三盆を気に入ってくれた三代目店主とも会話が弾むようになった頃、恐る恐る、ルネ・ヴィンセント関連のものはないかと尋ねてみた。

ところがルネ・ヴィンセントが通じない。仕方なく手許の紙に書くと、あぁホネ・ヴァンサンのことね、わたしにはこのように聞こえた、が、ずっと英語で会話していたので、ルネ・ヴィンセントがフランス人だということをすっかり忘れ、何度もRとVに注意して英語風に表音するという恥を重ねてしまった。

笑いながら店主が出してきたのは、ベルリエのカタログだった。1908年のベルリエには全く興味が湧かなかったが、ルネ・ヴィンセントによるカタログ画は素晴らしい。即決である。調子にのって、ドライエはないか、と切り出すと、またまた奥の部屋から取り出してきたのが、1908年のドライエのカタログ。京都の骨董屋のように、パリの古書店でも、店主が本当に気に入っているものは、そう簡単には見せてもらえないようである。

今回の肴
恒例の写真説明。今回は写真点数が多いので、ごく簡単に。

□ベルリエのカタログ表紙
現在も商用車メーカーとして残るベルリエ社の1908年のカタログ表紙。まるで書籍のような重厚さに、当時のクルマがいかに贅沢品だったかをうかがい知ることができる。




□ベルリエのカタログ挿絵
ベルリエの1908年カタログは全62ページ。ただし挿絵はカウント外で、ページもふられていない。6枚の挿絵はすべてルネ・ヴィンセントによるもので、他の頁とは異なる特別な紙に刷られており、その頁だけ裏に一切の印刷がない。









□ベルリエのカタログ本文
ベルリエのカタログは、独立した挿絵だけでなく本文の頁も美しい。どの頁にもルネ・ヴィンセントの手になる絵が添えられていて、特に彼が描く人々の雰囲気は、現在も絵本の賞にその名を残すケイト・グリナウェイを彷彿とさせる。全ての頁をご紹介できないのが残念である。








□ドライエのカタログ表紙
ベルリエと同じ1908年のドライエのカタログの表紙。こちらもベルリエとは異なる趣ながら、時代をおもわせる独特の味わいがある。




□ドライエのカタログ挿絵
ドライエの1908年カタログは全58ページ。独立した挿絵は4枚で、それぞれ作者が異なっている。日本でよく用いられている表記にしたがって作者名を記すと、上から、アベル・ファーブル、シャルル=リュシアン・レアンドル、ルイ・モラン、ハリー・エリオット。







□ドライエのカタログ本文
ドライエのカタログ自体は、ベルリエに較べるとやや面白味に欠ける。独立した挿絵頁以外に絵画的要素はなく、大体がこのような雰囲気である。




□今回の蛇足:馬車が買いたい!

今回も蛇足を一枚だけ。ここのところ全日空に搭乗するのがたのしみになっている。それは機内誌の「翼の王国」によるところが大きい。席に着くや、まず「翼の王国」を開き、ふたつの連載に目を通す。ふたつとは「京都の流儀」と「稀書探訪」。この「馬車が買いたい!」は、毎回、挿絵の美しい稀覯本を紹介している「稀書探訪」、の鹿島茂氏による1990年の著作である。

文、写真:板谷熊太郎 Words and Photos:Kumataro ITAYA

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