1976年 F1シーズンの幕を開けたジェームス・ハントの勇猛果敢な走り

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誰も教えてはくれないが、30 歳を過ぎると時計の進み方が早くなるものだ。そして、ある日ふと、あれからもう40 年もたつのかと愕然とする。20年続いた刑事ドラマ「ドクグリーン署のディクソン巡査(Dixon of Dock Green)」が最終回を迎えたのも、毛沢東が死に、権力を握ろうとしたその妻が失脚したのも、間違いなく1976年のことだ。

私は今と同じように1976 年もモータースポーツに没頭していた。あの年の信じられないような出来事の数々は、昨日のことのようにはっきりと覚えている。特に忘れられないのが、7月18日にブランズハッチで開催されたイギリスGPでジェームズ・ハントが見せた勇猛果敢な走りだ。

ジェームズのマクラーレンM23は、スタート直後の1コーナーでミスを犯したクレイ・ラガッツォーニと絡んで宙に浮いた。レースは中断され、のちに問題となる騒動が巻き起こる。誰も知らないようなルールのせいで、ジェームズの再スタートは認められないというのだ(訳註:ハントはクラッシュ後にピットに戻り、1周目を走り切っていなかった)。

これが観客に伝わって暴動が起きかねない雰囲気になると一転、彼の再スタートは認められた。ジェームズはラウダのフェラーリ312 T2を44周にわたって追走すると、ドルイド・ヘアピンでインに飛び込んでついにトップを奪う。観客は狂喜乱舞した。ジェームズはそのままリードを広げ、76周のレースに大差で勝利。『Autosport 』誌の偉大なF1記者、ピート・ライオンズはこう称えた。「イギリス人がイギリスGPで優勝するのは、1958年のピーター・コリンズ以来のことだ。いやはや、恐れ入った」

まさにその通りだ。だから、後味の悪い結末については深入りしないでおこう。フェラーリ、ティレル、フィッティパルディが抗議した結果、ジェームズの見事な勝利は剥奪された。だが、1976年イギリスGPの真のウィナーがジェームズ・ハントであることは、あの場にいた誰もが知っている。そして彼は、こうした苦難にもかかわらず、1976 年のF1チャンピオンになったのだ。

あの週末、私は前座のF3レースに出場していたが、ジェームズは大きなプレッシャーに晒されていたから、彼と会えるとは思っていなかった。ジェームズと私は、フォーミュラ・フォードを同時に始めた縁で1960年代には親しくしていたが、1973 年に彼がヘスケス・レーシングからF1の高みにたどり着いてからは、顔を合わせることもほとんどなかったからだ。

ところが、彼はF3のグリッドにひょっこり現れたのだ。私にがんばれよと声をかけ、グリッドから人がはける時間まで数分間立ち話をしていった。付け加えておくが、グリッドに来るには、F1のパドックからかなりの距離を歩かなければならなかった。彼がいかに素晴らしい男だったかを物語るエピソードだ。

ジェームズはあのとき、レーシングドライバーがなし得る最高の栄誉を目前にしていた。対して私は、フォーミュラ・フォードからF3にたどり着くまでに8年かかり、シングルシーターで成功する見込みはとうの昔になくなっていた。そんな私に示してくれた彼の心遣いは、忘れられない思い出として深く心に刻み込まれている。

その日曜の午後、自分の部屋に戻ってテレビをつけてみると、BBCでは、モントリオール・オリンピックをボイコットするアフリカのアスリートたちが飛行機に乗って国へ帰る去る姿をカナダから何時間も生中継していた。日曜版の新聞に付いてきた別冊に目を移すと、BBCのトップに就任したばかりのブライアン・カウギルに関する記事が載っていた。

それを読んだ私は、意味はないだろうと思いつつも、カウギルに宛てて手紙を書くことにした。英国スポーツ史に残る偉大な出来事が目と鼻の先のブランズハッチで繰り広げられていたにも関わらず、BBCはカナダで大金を無駄にしたと厳しく批判する途方もなく長い手紙だ。

信じられないことに、カウギルは同じくらい長い返事をくれた。それも、自分の組織を擁護するそっけない内容ではなく、私の意見に共感を示し、自分の考えを蕩々と述べた手紙だ。今では忘れがちだが、当時はイギリスのテレビでF1が取り上げられることはほぼ皆無に等しかった。

今は亡きブライアン・カウギルは、めずらしくBBCのスポーツ部責任者からトップに上りつめた人物で、偉大なテレビ業界人として人々の記憶に残っている。その時々の国民のムードを深く理解し、良質なテレビ番組とは何かを知っていた。BBCを根本的に改革して進歩させると、1977 年にテムズテレビジョンへと活躍の場を移した。
 
BBCは1978年のモナコGPから「Grand Prix 」の放送を開始した。実況にマレー・ウォーカーを起用し、番組の冒頭には今ではおなじみとなっているフリートウッド・マックの曲を採用。1979 年からは、ドライバーを引退したジェームズ・ハントが解説に加わって番組をさらに盛り上げ、伝説的な一時代を築き上げた。

カウギルに宛てた自分の手紙がBBCの変化と何らかの関係があるとは私も思っていない。しかし、少しは後押しになったのではないかと考えるのは、なかなかに楽しいものだ。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA

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