ポルシェRSRで駆け抜けたシチリア最後の王者が語るポルシェの楽しさ

Photography: David de Jong Archive images: Porsche

ハイス・ヴァン・レネップは、ル・マンで2勝、タルガ・フローリオで1勝を挙げた。彼にとっては、ポルシェRSRで戦ったシチリア島の公道レースに思い入れが強いという。

チリア島とタルガ・フローリオについては話が尽きない。「しばらく前に、あそこへ行って1 周走ったよ。記憶が少しずつよみがえってきた。見覚えのあるコーナーに来ると、何があったかを思い出したりしてね。もちろん、もう200㎞/hで村を走り抜けるわけにはいかない。考えてみればクレイジーだった」


「観客が増えすぎて禁止されたんだ。危険になりすぎた。皆、リスキーなコーナーを選んで立っていた。子どもたちが低い塀に座って、足をこちら側にブラブラさせていることもよくあった。スピンしてその塀にクラッシュする可能性もあるのにね。考えたくもないことだ」

ハイス・ヴァン・レネップは、そんな冒険をくぐり抜けてきたとは思えないほど、地に足の付いた落ち着いた人物だ。そして、74歳とは思えないほど若々しい。1906年に第1回が開催された伝説的なスポーツカーレース、タルガ・フローリオには4回出走した。1971 年には2位フィニッシュし、1973年にはヘルベルト・ミューラーと組み、ポルシェ9 1 1 カレラRSRで優勝。これは、さまざまな意味で歴史的な勝利だった。タルガ・フローリオが世界メーカー選手権に組み入れられていたのはこの年が最後で、以降は国内選手権となり、1977年に死亡事故が起きて完全に幕を閉じた。現在はヒストリックラリーとして続いている。



タルガ・フローリオは曲がりくねる山道が主体で、1周72㎞のコースに700のコーナーがあり、ギアチェンジはおよそ1500回におよんだ。通常10周で争われ、1973年頃はトップの車で1周34分ほどかかった。レースの1週間ほど前から行われたテストや練習走行では、レーシングカーはナンバープレートを付けて一般の車と一緒に走行した。

「プロトタイプクラスでは、いろいろな新装備を付けて1週間にわたって特訓した。車両開発部門があるヴァイザッハで生まれた実験車(Versuchswagen)だ。私がポルシェ初のオートマチックになったスポルトマチックをドライブしたのもそのときだよ。シフトレバーを掴むとクラッチが切れるので、ドライビング中にシフトを支えにすることはできなかった」
 
「ポルシェは楽しかったよ。一番パワフルな車だったし、ボスは私たちに力の限り速く走らせてくれた。ウォールに突っ込まない限りはね」

思い出は次々に溢れ出す。「練習中は1日6周くらい走り、1周のタイムは、レースより5分よけいにかかる程度だった。一般の車に混じって走ったのにだよ。ロバが牽く荷車に、羊の群れや馬車、薪拾いに行ってきたおばあさんもいた。それに、道路の再舗装工事もやっていた。すべてを完璧な状態にしてタルガを迎えられるようにだ。当然、レースが終わったあとにはまたボロボロになっていたが、気にする者はいなかった」

「私は1 週間で30 周ほど走行して、コースの99.5 %は覚えた。他のドライバーは木に目印を付けたりしていたが、私は頭に叩き込んだよ。頭の中でコースを5 、6 個の区間に分けるんだ」 今、ヴァン・レネップは再びタルガ・フローリオに出走した

ポルシェ911カレラRSRのシートに座っている。といっても、優勝した車ではなく、3 位でフィニッシュしたレオ・キニューンネン/クロード・ハルディ組の車だ。現在は優勝車のカラーリングに塗り直されてシュトゥットガルトのポルシェ・ミュージアムに収蔵されている。本物の優勝車は、アメリカ人が購入し、レストアして数年後に売却した。

RSRについてヴァン・レネップはこう話した。「非常にパワフルだった。350bhp の3.0リッター6 気筒エンジンで、重量を減らすために、ボンネットやドアなど、アルミニウムパネルを増やしていた。特製ボックスの扱いにはコツがあった。素早くギアチェンジしてもいいが、ストロークが長いのでほんの一瞬"間が空く"。1 速が位置が遠く、2 、3 、4 速が近く、ストレート用の5 速が遠い。だが、大半は2 、3 、4 速で走ったから問題はないわけだ」

「大きなブレーキディスクのおかげでブレーキもよく利いた。エンジンには特殊なピストンが組み込まれていたから、6500rpmを超えないように注意する必要があった。この車のレヴカウンター自体はレッドラインが8200に刻まれていたけどね。それでもやっぱり良かったよ。リアエンジンだからトラクションが大きく掛かったから、タイトコーナーの多いタルガ・フローリオのサーキットにはもってこいだ。それに、ブレーキングしてもノーズダイブを起こすこともなかった。常に水平だった」
 
「思い切り振り回せる車だった。ドリフトもしやすかったが、私はなるべく抑えて、常に車を支配下に置いておくようにした。ロブ・スローテマルケルは派手にドリフトしていたけれど、自分のアンチスリップ・スクールの宣伝をしていたんだろう。いや、真面目な話、車を支配下に保つことで、私は数えられないほど何度も命を救われた。こぼれたオイルの上を走ったり、突然パンクしたりしても生き残らなきゃならないんだ。670bhp のポルシェ917 の運転も、そうやって覚えるのさ」

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Martin van der Zeeuw 

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