コレクターだからこそ価値がわかる|フェラーリ250 カリフォルニア・スパイダーが特別な存在である理由

1961年式フェラーリ 250GT SWB(Photography:James Lipman)



レースにも使われたカリフォルニア・スパイダー
カリフォルニア・スパイダーが、目立ちたがり屋のための車であることは間違いない。しかし少数ではあるが、「ツール・ド・フランス」から派生したそのシャシーとエンジンの力を最大限に活用しようとした購入者もいた。その中でももっとも熱心だった人物のひとりが、ニューヨークのカーディーラー、ボブ・グロスマンだ。彼は真のジェントルマン・レーサーらしく、ほとんど新車だったカリフォルニアを1959年に開催されたSCCAイベントにエントリーした。

アメリカの自動車雑誌『Sports Cars Illustrated(現在の Car and Driver)』には、彼が正式なスポーツカーファッションに身を包み、トランクに荷物を入れてさまざまなレース場を車で行き来する様子や、サーキットでの練習を終えた後「一体どうしたらこんな美しい車でレースに参戦しようなどと思うのか」と問いかけた人に「これはレースをするための車だからさ!」と答えたことが書かれている。

グロスマンのカリフォルニアは、1959年に開催されたSCCAのクラスCで他車を圧倒した。あまりに成績がよかったため、クラスBへと昇格されてしまったが、シボレー・コルベットと互角の戦いを繰り広げた。彼はこのシーズンの終わりに、「高価ではあるかもしれないが、信頼性が高い車だ。13レースを終わって、まだ、1箇所も機械的不具合を起こしていないから」とコメントしている。

グロスマンがカリフォルニア・スパイダーで参戦した中で一番のハイライトは、1959年のル・マンだった。仕上げが終わっていないシートを古びた布で多い、プライマーにトップコートを塗っただけの、完成して間もないLWB"1451"で出場。過去にル・マンでのレース経験もなく、英語をまったく知らないフランス人のコ・ドライバーと会話を交わすこともできない状況にもかかわらず、5位で完走した。

しかし実際のところ、オープンカーゆえのボディ剛性の低さによって、カリフォルニア・スパイダーのレースキャリアは常に限られていた。悲観的なジョージ・アレンツは、「レーシングカー専用の車ではないとはいえ、ボディ全体が曲がってしまうこのルーフカット構造では、サーキットでいい結果を得られるはずがない」とぼやいた。アレンツはかなり不満だったようだが、ボブ・グロスマン自身は、フィックスド・ヘッドの250が発表されて以降、レーシングカーとしてのカリフォルニアに対する興味を失い、SWBバージョンのオープンカーに手を出すことはなかった。

サーキットにおいて、そのハンドリング性能は問題だったかもしれないが、信頼性は常にカリフォルニアの強みだった。これはポール・マイケルズが所有するSWB"2277GT"が裏付けているといっていいだろう。長距離イベントの前には必ずオランダのピーター・ルーロフスやイギリスのGTOエンジニアリングなど、スペシャリストによる入念な準備が必要であることは認めているが、この車が彼を失望させることは一度もなかったと言っている。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:渡辺千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation:Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.) Words:Mark Dixon Photography:James Lipman 取材協力:ポール・マイケルズ、キャメロン・ミッチェル、フィリップ・キリアコウ、ベン・ホ

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