フィアットの帝王が作り上げたフェラーリでイタリア国立自動車博物館へ行く

フェラーリ166MMトゥーリング・バルケッタ

フィアットを世界的大企業に育て上げたジャンニ・アニエリは、流行の仕掛け人でもあった。アニエリとフェラーリ、トゥーリングがタッグを組んで誕生したのが、このユニークな166MMだ。

しばらくは何とかなった。日曜の早朝なのでトリノのサン・カルロ広場を歩く人は少なく、たとえ質問を受けても、私のつたないイタリア語でゆっくり話せば要点を伝えることはできた。「重要なフェラーリで、イギリスから、イタリア国立自動車博物館に来ました」と。

だが、ジョギングクラブの一団がやってくると手に負えなくなった。幸い、同行したオーナーのクリーヴ・ビーチャムが「任せろ」とばかりに私の肩に手を置いて進み出た。笑顔で、美しいトゥーリング製ボディの166MMを指して、「E la prima Ferrari di GianniAgnelli.」と紹介する。すると、ジョギングクラブの面々は興奮して「そうか、ジャンニ・アニエリの最初のフェラーリだ!」と口々に叫んだ。

ジャンニ・アニエリのフェラーリ166MM
クリーヴと私は、V12エンジンのサウンドをバロック調の建物に響かせながら、ヒーローのように走り去った。「短いフレーズを除けば、完全な文で知っているのはあれだけだよ。でも、この国でこの車を運転するときには、ほかに何も必要ない」

クリーヴ・ビーチャムは冗談を言っているわけではない。イタリアでフェラーリをドライブするのは特別なことだが、トリノを166MMバルケッタで走るのは、さらにその上をいく。なにしろフェラーリとトゥーリングに転機をもたらしたモデルだ。しかもこの車はトゥーリングに選ばれて、創業90周年記念展の目玉として国立自動車博物館に展示されるのである。

さらに、かのジャンニ・アニエリの最初のフェラーリでそのホームタウンを走り、アニエリに捧げられた博物館へ行こうというのだから、王室の一員と一日を過ごすようなものだ。警官は我先にと争って違反を大目に見てくれ、道行く人々はフェイスブックにでも載せようと写真を撮る。いつでも誰かが大喜びで助けてくれるので、通訳の心配もいらない。アニエリが2003年に亡くなってから10年以上になるが、フィアットの黄金時代を築いたかつてのトップは、今もイタリア人の心を捉えて離さないのだ。「王室の一員」といったのも決して大げさな表現ではない。アニエリ本人は、法律の学位を持っていたことにちなむ愛称"アッヴォカート"(弁護士)のほうを好んだが、評論家からは"無冠のイタリア国王"と呼ばれた。いや、「無冠の」という言葉はいらないくらいだ。絶頂期のアニエリは、自動車メーカーだけでなく、新聞社から百貨店まで数多くの企業を所有し、イタリアの株取引の4分の1以上、GDPの5%近く、労働人口の3%を支配していたのである。実質的にはどんな政治家にも勝る力を握っていた。ローマ法王との謁見であっても、アニエリはお伺いを立てる側ではなく、立てられるほうだったのではないかと思うほどだ。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.)原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Dale Drinnon Photography:Martyn Goddard

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