フェラーリ250という伝説|1952年〜1965年までの18車種を徹底解説

フェラーリ250GTO

公道上で、そしてサーキットで、これほど数多くの伝説を生み出したモデルは他にない。1952年から1965年までに誕生したフェラーリ250をグレン・ワディントンが解説する。


250 S (1952)
250の名が与えられた最初の1台。外観は225Sと変わらないが、エンジンはジョアッキーノ・コロンボ設計のV12を刷新して、排気量3.0Lに拡大したものを搭載している。合計27台のフェラーリが出場した1952年のミッレミリアにエントリー。この年の優勝候補はメルセデスベンツ300SLプロトタイプだったが、フェラーリはミッレミリアが新エンジンのテストに適していると判断。ジョバンニ・ブラッコにステアリングを委ねた。長いストレートが続くアドリア海沿岸のコースではメルセデスに及ばず、レース中盤まで250Sは3番手に留まっていた。ところが、ツイスティーなフータ峠やラティコーサ峠に足を踏み入れると、V12エンジンの強力なパワー、そして軽量コンパクトなヴィニャーレのボディ(車重はわずか850kgに過ぎなかった)が威力を発揮して逆転。ブラッコが栄冠を掴み取ると同時に、フェラーリはミッレミリアで5年連続の
優勝を果たすこととなった。ここに伝説は幕を開けた。


250S(1952年) 生産台数:1台



250 MM (1953)
"MM"はミッレミリアの略で、前年までのフェラーリの快進撃を記念して名付けられた。デビュー戦は1953年のジーロ・デ・シチリア。ドライバーはプライベティアのパウロ・マルツォットで、340MMを駆るルイジ・ヴィロレーシに続く2位でフィニッシュした。ヴィロレーシはこの年のモンツァ・グランプリに250MMで出場し、栄冠を勝ち取っている。
250Sがプロトタイプだったのに対し、250MMはロードカーで、V123.0Lエンジン搭載を前提に新たに開発されたシャシーに、ピニンファリーナ製(クーペ)もしくはヴィニャーレ製(バルケッタ)のボディが架装された。このスタイリングが、後に登場する
250ファミリーの方向性を決定づけたといっていい。


250MM(1953年) 生産台数:31台



250 Europa (1953)
フェラーリ・ロードカーの輝かしい歴史が本当の意味で幕を開けたのは、この1台がきっかけだった。エンツォ・フェラーリがロードカーを手が
けたのは、レーシングカーを開発する予算を捻出するのが目的だったという話はあまりにも有名だ。
ただし、フェラーリが現在のような形態を築く礎となったのは、間違いなく250エウローパだった。それはアストンマーティンがDB2で未来を切り拓いたのと同じことと考えられる。排気量が小さいコロンボ設計の V12を積む前作"インテル・クーペ"は「ロードカーのボディをまとったレーシングカー」と評されたが、エウローパは「ジェントル・マンのためのグラントゥーリスモ」として好評を博した。新しい2800mmのシャシーが与えられたエウローパは1953年のパリ・サロンでデビュー。ただし、ランプレーディが設計したF1V12の排気量を縮小したエンジンを搭載していた。コロンボの手に依らないエンジンを積んだ250は、このエウローパだけである。


250エウローパ(1953年) 生産台数:21台


編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:Glen Waddington

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