フェラーリ250という伝説|1952年〜1965年までの18車種を徹底解説

フェラーリ250GTO



250 Testa Rossa (1957-58)
テスタロッサと呼ばれるのは、シリンダーヘッドが赤くペイントされていたからだ。その名は4気筒エンジン搭載の500TRから受け継いだものだが、ホイールベースが延長されているほか、ボンネットの下にはコロンボが設計した当時最強のV12エンジンを搭載。その最高出力は300bhp/7000rpmで、車重はわずか800kgだったため、最高速度は約272km/hに達した。
ヒルとコリンズのコンビは1958年ブエノスアイレス1000kmとセブリング12時間で優勝、ムッソとジャンドビアンはタルガ・フローリオを制し、ヒルと組んだジャンドビアンはル・マン24時間でも栄冠を勝ち取った。1959年のスポーツカー選手権ではアストンマーティンDBR1にタイトルを奪われたが、翌年はル・マンとブエノスアイレスでテスタロッサが快勝し、フェラーリがチャンピオンに返り咲く。1961年はセブリングとペスカラ、1962年にはセブリングとル・マンで優勝。フェラーリのレーシングカーとして、もっとも多くの栄冠を手に入れた1台として知られる。


250テスタロッサ(1957-58年) 生産台数:31台



250 GT Coupe Pinin Farina (1958-60)
これ以前にもピニンファリーナがクーペを手がけたことはあったが、それはカブリオレを生産する合間にワンオフとして作られたものがほとんどだった。したがって、クーペ・ピニンファリーナは250の歴史に新たな1ページを刻んだといっても過言ではない。もっとも、このモデルはレーシングカーでもなければグラマラスなスパイダーでもない。クラシカルなラインで適切なボリューム感を表現したクーペ・ピニンファリーナにはいくつかのバリエーションが存在するが、その過程で仕様の標準化が慎重に進められ、結果的にフェラーリに多くの利益をもたらすことになる。240bhpのパワフルなV12エンジンを搭載しているが、ホイールベースは2600mmで車重は1230kgに達するため、ロードレーサーというよりも洗練されたツアラーと表現するほうが相応しい。


250GTクーペ・ピニンファリーナ(1958-60年)生産台数:335台


250 GT Spider (1959-62)
クーペ・ピニンファリーナに似ているが、こちらはソフトトップを採用。半ば近代化されたラインで製造された"セカンド・シリーズ"はレザー張りのインテリアがおごられており、スポーツロードスターとして使うよりも大通りをゆったり流すほうが似つかわしかった。


250GTスパイダー(1959-62年)生産台数:おおよそ200台

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:Glen Waddington

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