名車が厳寒のモンテに集う│伝説のラリーカーアルピーヌA110が復活

Photography: Bernard Canonne

モンテカルロ・ラリーは、1911年に初開催されたという長い歴史を持つモータースポーツイベントである。厳寒のフレンチアルプスで開催されることから、気候の変化と厳しい路面状況が参加者を待ち構え、そこでは人々の記憶に残る名勝負が繰り広げられてきた。この由緒ある"モンテ"の歴史を現代に引き継いでいるのが、モンテカルロラリー・ヒストリックである。かつて"モンテ"を席巻したアルピーヌがこのラリーに挑んだ時の物語をお届けしよう。

ルノーは、イギリスのケータハムと提携し、新しいスポーツカーを生産する合弁事業を始め、そのスポーツカーの名をアルピーヌにすると2013年に発表した。1995年に生産を終えて以来、長く途絶えていたアルピーヌの名が復活することになったのだ。




まず、合弁計画の周辺事情を整理しておこう。現在、キミ・ライコネンとロマン・グロージャンのドライブでF1グランプリを快走しているロータスF1チームの実態は、以前のルノーF1チームだ。そして、以前はロータスF1を名乗っていたチームが現在はケータハムF1になっている。エンジンはどちらもルノー製だ。そして元ロータスで元ケータハムのエンジニアが、新プロジェクトに関わっている。

アルピーヌの本拠地であったディエップ工場には、いまもアルピーヌのロゴが掲げられているものの、1995年以降はルノースポール・スパイダーやハッチバックのルノースポール・バージョン、さらにエスパスを生産してきた。

アルピーヌ・ブランドが復興の狼煙を上げるなか、ルノーは5台のA110からなるチームを作り、2013年モンテカルロラリー・ヒストリックに挑んだ。カーナンバー15 を付けた1971年A110 1300は、新生アルピーヌでプロジェクトマネジャー兼チーフエンジニアを務めるジャン・パスカル・ドースがオーナーだ。

「15歳の時からいつかほしいと言っていました。1988年にアルピーヌの専門店でこれを見つけましたが、まだ若かったので、資金づくりのためにすべて売り払ったほどです。それから24年間も所有しています」とA110への情熱を語る。

だが、晴れの舞台だというのに、ジャンは自分のA110のドライブをルノー社COOのカルロス・タバレスに任せ、コ・ドライバーを務めることになった。

しかし、タバレスはCOOとしての権力を行使してドライバーになったのではない。彼はフランスでチャンピオンを獲得したこともある優れたドライバーで、自身もA110オーナーなのである。ほかに、これほどエンスージャストなトップがいる自動車製造会社が世界中のどこにあるだろうか。

このほかのチームドライバーも、クラシック・ルノーの使い手として成功を収めたことのある面々だ。ジャン・ヴィナティエは1964〜1971年にワークスチームに所属、1969年にはA110でフランスラリー選手権のチャンピオンになっている。ジャン・ラニョッティはおそらくルノーで最も有名なドライバーに違いない。

アラン・セルパジは1970年代にF3と耐久レースに参戦し、1985年フランスラリー選手権でミッドエンジンのルノー5ターボをドライブして、ディヴィジョン2のチャンピオンの座に着いている。そしてジャン=クロード・アンドリューだ。彼は数々の戦績を残しているが、その中でも印象に残るのは、1973年モンテカルロでコ・ドライバー"ビッシェ"とA110に乗り、優勝を果たしたことだろう。さらに2位と3位もアルピーヌが占め、アンドリューが世界ラリー選手権初代チャンピオンになった。今回のイベントでは、アンドリューは"ビッシェ"とのペアを再結成し、同じカーナンバー18を着けた。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: John Simister 

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