名車が厳寒のモンテに集う│伝説のラリーカーアルピーヌA110が復活

Photography: Bernard Canonne



最終日の晩、私たちがいたモナコ中心のレストラン内は空気が張り詰めていた。最後の3ステージを残すだけとなり、あと30分でクルマをパルクフェルメに戻さなければならないのに夕食が届かないのだ。さらに、各ステージの規定アベレージスピードの情報も伝わってこなかった。ヒストリック・モンテは今日のミッレミリアと同様、非常に権威あるレギュラリティー・ラリーで、競技は法定速度に準じて行なわれる。だが、高速ドライビングの機会もあり、ここで遅れやスローコーナーの遅れを埋め合わせることが可能だ。

〝ビッシェ〞はヒストリックカーラリーに出場するのは今回が初めて、A110に乗るのも1970年代以来だという。〝ビッシェ〞とは彼女がまだ小さかったころに両親がつけた愛称で、この名でラリーにエントリーしていた。彼女は「主催者はアベレージスピードを隠しておきたがりますが、みんな探り出すでしょう」と言いながら、ルートマップを見せてくれた。それによると、最後の計測ステージは有名なチュリニ峠である。



カーナンバー18のアルピーヌは、ヘミヘッド・エンジンを搭載した1600Sのカタログモデルで、ディエップのアルピーヌ博物館の所有だが、このイベントに出場するにあたって、1973年の優勝車を再現すべく元の黄色からメタリックブルーに塗り替えられた。私たちは、このクルマをこそスターだと考え、ステージ中は追走する計画を立てた。

モナコの埠頭近くの再スタート地点にクルーは空腹で向かった。ラリー史上に残る名車がスタートランプに並ぶ光景は実に素晴らしい。私たちは追走車にルノースポール・メガーヌ265を選んだ。運転を任せたのはアルノーという元カートチャンピオンで、月夜の晩、モナコの北方、アルプス手前の峠で様々の様々な歴史的ラリーカーを追いかけようと考えた。走り出して間もなく、ステロンの最初のパッセージコントロール直後に、カーナンバー18のアンドリューが私たちに不快感を示した。追走するメガーヌのキセノンヘッドライトが、車高の低いA110のバックミラーを通じてアンドリューの目を射るのだ。ただちに私たちは後退。するとほかのラリーカーがすぐ間を埋めた。

別のA110がいた。ルノー・チームではない、13台エントリーしたうちの1台だが、登るにつれて滑りやすくなる道でかなりのペースで離れていく。次にR8ゴルディーニが行き、ポルスキー・フィアットは滑りながら行く。イギリス人チームのオレンジのフィアット128 3Pクーペが、ふたつ目の計測ステージで一番元気に走り去った。なにごともなければいいが。



路面は埃が乗り、岩が散らばり、また凍結箇所もあり、アルノーは慎重に走る。それにしても、近代的な電子デバイスによる運転支援システムを持たないヒストリック・ラリーカーのスピードは驚異的だ。そしてその姿は心温まる。

ただ勇気なのか。それとも滑るコンディションのほうが、感触がはっきりして自信が湧くのか。パワースライドして走るBMW CSiと2台のフォード・エスコートのドライバーはそう考えているようだ。さらにひとつ曲がると、さっきのフィアット128がひっくり返っている。けが人はないし、また走り続けられそうだ。

私たちはステージ3のチュリニ峠の頂上で待ち構えていた。この村に一番派手に到着したのは、パワースライドするビートルで、硬くなった雪に乗って盛大なカウンターステアを当てながら入ってくる。

ジェラード・ブリアンティとセバスチャン・ショル組のカーナンバー100、アルピーヌA110が勝った。2位にはアルピーヌA310が入り、ブランドの認知度は充分高まったに違いない。アンドリュー(73歳)とビッシェ(本名ミッシェル・プティ)は、ルノークラシックチームでは最上位の24位だった。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: John Simister 

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