エンツォ・フェラーリが1人の男に贈った特別なフェラーリの物語

octane UK

車が好きな真面目なイギリス人がいた。よく働く彼はやがて成功を収め、迎えた妻のためにフェラーリのコンバーチブルをプレゼントした。しかしその男はフェラーリのドラムブレーキに満足せず、ホイールごとジャガーDタイプのディスクブレーキに付け替え、マラネロのエンツォ・フェラーリのもとに向かった。

目的は改造箇所を見てもらい、他のフェラーリも採用したらどうかと提案することだった。エンツォに対してなんと恐れ多い行動を、と誰もが思うところだが、エンツォはその男を門前払いすることなく、なんと提案を受け入れた。フェラーリはその後大活躍を見せることになるが、この一件がその転換期だったのかもしれない。

これは架空の話ではない。1950年代の終わりに実際に起こった本当の話である。その男とはピーター・コリンズ。有名なレーシングドライバーである。妻ルイーズのために用意したフェラーリとは、シャシーナンバー0655をもつ1957年製の250スパイダーである。

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ピーター・ジョン・コリンズは24歳のとき、すなわち1955年暮れにワークスドライバーとしてフェラーリと契約を結んだ。エンツォは端正な出で立ちの英国人を大いに気に入った。その年のタルガ・フローリオで一緒に組んだスターリング・モスがメルセデス300SLRにダメージを負わせたが、引き継いだコリンズが見事勝利に導いたことを高く評価していたのである。エンツォは、コリンズがF1とスポーツカーレース双方で将来ワールドチャンピオンになる素質があると見込んでいたが、予想外だったのはエンツォの家族、とくに息子のディーノに対して親しく接してくれる温かい人柄も、コリンズは兼ね備えていたことだった。

類い希な才能を持つエンジニアだったディーノは病気がちで、ほぼ毎日自宅療養の日々を送っていたが、コリンズとは誕生日がほんの数週間しか違わないこともあって意気投合、コリンズは多くの時間をディーノと過ごし、車のこと、人生のことなどを語り合ったという。エンツォとディーノに慕われた男だが、ディーノは1956年6月に旅立ってしまう。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Massimo Delbò 

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