アマチュア「週末レーサー」たちが作り上げた国際出場レースカー|アルファロメオ・アルフェッタGT

1981年アルファロメオ・アルフェッタGT・グループ2レーシングカー(Photography:Paul Harmer)

このアルファロメオ・アルフェッタGTは、イギリスのクラブレーサーの情熱が造り上げたレーシングカーだ。マーク・ヘイルズがグッドウッドを走り、ミラノ生まれのユニークな味わいを楽しんだ。

イギリスでのアルファロメオは今も昔も"ニッチ"なブランドだ。だが、1970〜80年代には、熱心なエンスージアストの手で、販売台数と釣り合わないほど多くのアルファがイギリスのサーキットやラリーステージで活躍していた。その何よりの証拠が写真のアルフェッタGTだ。この車の唯一の目的は、1981年にシルバーストンで開催されたTTレースに出走することだった。国内で大きなレースがあるのに、イギリスからアルファが出走しない、そんなことがあっていいものか、彼らはそう考えたのだ。

ウィークエンドレーサー
彼らとは、「ディーラー・チーム・アルファ」という名前で活動していたグループだ。この自称"ウィークエンドレーサーの集まり"は、アルファで好成績を収めていたピーター・ヒリアードが所有する事故車をベースにして作業に取りかかった。ドライバーは、ヒリアードに加えて、やはり熱心なクラブマンだったロブ・カービーと、アイスクリーム業界の大物で、ディーラー・チームの代表を務めていたレオ・ベルトレッリだ。

しかし、グループ2仕様のレーシングカーに仕上げるのは予想以上に困難だった。理由はチームの技術力不足ではなく、多数のスペシャルパーツが必要だったからだ。一部はベルトレッリがイタリアから調達し、残りはイギリス国内で出走していた他の車から移植した。仲間たちが、TTのためならと喜んで差し出したのだ。ディーラー・チームの車には常にイタリア関連のスポンサーがついており、このときもパスタメーカーのナポリーナから金銭的サポートを受けた。あくまでアマチュアのチームではあったが、民主的に運営され、その情熱は、個人の成功ではなく、サーキットでアルファを成功させることに注がれていたのである。

アマチュアチームが1回の国際レースのために車を造るというのは異例のことだ。思えば、一般にアルファのエンスージアスト、なかでもアルファのドライバーには、どこか変わったところがある。当時、彼らはすでに国内のトップカテゴリーで大物を相手に奮闘しており、不可能はないと確信していた。このアルフェッタは、そんな彼らの物語も今に伝えている。さらには、イギリスのアルファ・オーナーズクラブや、チーム・アルファGB、そしてイギリスでのブランドとしてのアルファロメオについても象徴する存在といえるだろう。イタリア国外で造られたグループ2仕様のアルフェッタは、あとにも先にもこの1台だけだ。

グループ2とは、過去12カ月に1000台以上製造された量産ツーリングカーのカテゴリーで、ダンパーやカムシャフト、キャブレター、エグゾーストマニフォールドなどのモディファイが認められていた。このアルフェッタは、TTで好成績を残すことこそできなかったものの、その後もヒリアードがドライブしてアルファ・クラブ主催のレースで活躍し、やがて1990年代に忘れ去られて行方知れずになっていた。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Mark Hales Photography:Paul Harmer

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