アマチュア「週末レーサー」たちが作り上げた国際出場レースカー|アルファロメオ・アルフェッタGT

1981年アルファロメオ・アルフェッタGT・グループ2レーシングカー(Photography:Paul Harmer)



蘇ったTTアルフェッタ
それから30年近く過ぎたあるときに、物語の次の幕が開く。その立役者が、やはり生粋のアルファ・エンスージアストであるリチャード・メルヴィンだ。リチャードの本職は展覧会や映画で使う小道具の製作だが、アルファのレストアにもいくつか取り組んでいた。

ターボ搭載のアルフェッタに履かせる適正なホイールを探していて、2年前に出ていた1981年TTレーサーの広告を見つけたのである。コンポモーティブのホイールが付いていたら儲けものだと思い、シュロップシャーまで出掛けてみると、雨ざらしのコンテナの中には、リチャード曰く"残骸"が眠っていた。目的のホイールはなかったが、リチャードはこれを購入する。そのうちに、パーツの供給源として使うよりも、アルファの歴史に小さな足跡を残した珍品として甦らせるほうが魅力的なプロジェクトに思えてきたのだという。

よくあるように、アルフェッタも1981年のTT出走後は様々な形で使われていた。オリジナルの2.0リッター4気筒エンジンは、のちのV型6気筒に換装され、サスペンションもアウトデルタ仕様ではなく、後継の75サルーンのものになっていた。リチャードは難題にぶつかると、ひるむどころか、かえって燃える質らしい。他のアルファ・エンスージアストの手も借りて(1981年当時の多くの関係者が健在だ)、2年を費やしてTT出走時の仕様に正確に復元した。

実際にスパナを握る時間よりも、パーツを探したり仕様を調査したりする時間のほうが長かったという。フェンダーやボディパネルなどは、現在ではイタリアでも入手困難なため、造り直すしかなかった。私が見る限り、苦労の甲斐はあったようだ。細部まで正確に再現しており、当時よりピカピカに仕立てるようなこともしていない。メカニカル面の仕様も正確だ。1963年からアルファのレース部門となったアウトデルタは、グループ2のためにスペシャルパーツをいくつも造っていた。その大半を製造し直したとリチャードは話す。グループ2仕様については後述することにしよう。

テスト走行の舞台は、明るい朝のグッドウッドだ。ここでは騒音レベルの規制があるため、コースに出るまでに待ち時間がある。その間に、車をじっくり観察することができた。アルフェッタGTのデザイナーは、イタルデザイン社を興したあとのジョルジェット・ジウジアーロだ(ベルトーネ在籍時にはジュリアGTVも手掛けていた)。緩やかに傾斜するボンネットと、角度のついたフロントウィンドウ。ルーフはカーブを描いてなだらかに下り、鋭角に切り取られたテールに続く。さりげなく見えるようにディテールまで慎重に計算されており、多くのアルファがそうであるように、時代を超越した魅力を持つ。当時流行りの角張ったエッジを除けば、現代の車として通用するだろう。

意外にも、レース仕様の割には車高があまり低くない。それに、タイヤがこれほど張り出しているのはいったいどういう訳だ。この2点の理由を私はあとで知ることになった。車内は外観ほどモダンではないが、その時代は多くの車がそうだった。また、現代のツーリングカーと違って、インテリアはほとんどロードカーのままなので、当時の雰囲気をよく伝えている。ダッシュボードはプラスチック製で、中央のボックスには、飛行機の補助翼に使われる金具がつっかえ棒として付いているのだが、それでもギアシフトと一緒に動いてしまう。ステアリングはシートからずいぶん離れた位置にあり、かなり角度がついている。かつて"イタリアの手長ザル"といわれたドライビングポジションだ。リチャードにはちょうどいいのだろうが、私はフロアマットを何枚か丸めてシートと背中の間に挟まなければならなかった。それでもステアリングの頂点にはなんとか手が届く程度だ。

アルフェッタで重要なのは、先行モデルの先駆的な機構が受け継がれ、さらに開発が進められた点だ。4輪ディスクブレーキとフロントのダブルウィッシュボーンサスペンション、DOHCとウェバー製キャブレターはそのまま引き継いでいる。一方、クラッチと5段ギアボックスはリアのハッチバック下に移動し、ド・ディオン式サスペンションとワッツリンク、コイルオーバー・ダンパーという複雑な機構と組み合わされた。ギアボックスをリアに搭載するレイアウトは、1950年代のイタリアのグランプリカーでは一般的だった。これにはパッケージ上の理由もある。ドライバーの位置を変えずにエンジンをより後方に搭載でき、おまけにホイールベース内に重量を分散できる。ただし、プロペラシャフトとそのジョイントが常にエンジンと同じスピードで回転し続けるのが難点だ。

こうした機構だから、アルフェッタの製造には大変なコストがかかったに違いない。フォードのビームアクスルなどと比べると、たしかに"スペシャル"な印象だが、多くの顧客にとっては些細な違いに過ぎなかった。イギリス国内のアルファロメオの販売台数は、1973年の1600台から大きく伸びて、1976年には1万500台に達した。とはいえ、売上トップのフォードは文字通り桁違いで、同じ年の販売台数は、コルティナ12万6300台、エスコート13万4000台だった。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Mark Hales Photography:Paul Harmer

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