美しさやメカニズムの素晴らしさ│「空飛ぶ概念」コンコルドのすべて

Photography:Alamy

イギリス・フランス共同製作の超音速旅客機の開発には、ドイツ人の天才たちの力が不可欠だった。10年以上に渡りり、筆者はヒースロー空港が設定した飛行経路のひとつの真下に住んでいた。風向きが決まったときには、午後7時10分頃から低い轟音が家中に鳴り響いたが、これこそアメリカ行きコンコルドが到来のする前触れだった。

私が外に飛び出すと、
4機のオリンパス593ターボジェットエンジンが離陸時に発揮する15万2000ポンド(約6万9000kg)の推進力が巻き起こす"音波" によって、自宅の屋根を葺くスレート板が小刻みに動き、窓はガタガタと揺れた。

旋風を引きずりながら、コンコルドはかなりの低空を通り過ぎた。あまりにも低く、その流線型のボディの詳細部分がすべて確認できるほどだった。私は騒音を除けば、特に飛来の時を不快には思わず、ただ恐れおののいて凝視するばかりだった。

その後、コンコルドはいなくなってしまった。さらに年が経ち、その素晴らしい三角形の翼が受け継がれた最後の系譜であるアブロ・ヴァルカン(英国のアブロ社が開発した英空軍の戦略爆撃機)も、最後の飛行を遂げた。

今でも未来の航空機のように見えるルックスや、コミック誌の『Eagle』に描かれたような乗り物であるにも関わらず、コンコルドのルーツは1940年代にまで遡る。当時、航空省は亜音速(音速以下)の高高度を飛行するジェット爆撃機の製造について概要を発表した。アブロ社の主任設計者のロイ・チャドウィックが革新的な三角形の翼のデザインを提案し、1952年には最初のヴァルカンが空を飛んだ。同じ年には、デ・ハビランド(DH.106)コメットもデビューし、世界を驚かせた。さらにアブロ社は、同社の爆撃機の旅客機版を画策した。

同じ三角形の翼と延
長した胴体などを使用し、アブロ・アトランティックと名付けたが、この計画は中止になった。しかしながら、その開発だけは続けられ、後にコンコルドと名付けられることになる。このバルカンは空飛ぶ実験台として使用され、ブリストル製オリンパス・エアロエンジンの高度な改良版が胴体に無理やり取り付けられた。

実は、コンコルドのイギリスとフランスのコラボレーションに注目が集まったことで、ドイツ人移民の空気力学者たちによる貢献が目立たなくなってしまった。そのうちのひとりは、シャイだが並外れた才能を持った女性、ヨハンナ・ウェバーだった。彼女の協力がなければコンコルドは文字通り"離陸" できていなかっただろう。

流体力学者のディートリヒ・キュッへマ
ンと数学者のヨハンナ・ウェバーは、1939年にゲッチンゲンのドイツ空気力学研究所で交友を始め、戦時中もともに研究を続けた。

イギリス占領下の1946年に彼らの業が評価され、ファーンボローの王立航空研究所の職が用意された(1953年に彼らはイギリス国民となっている)。ウェバーは同職のエリック・マスケルとともに、風洞研究が認められて"渦"のスペシャリストとなった。彼女は、高角度の薄い三角形の立ち上がりにより、先端から強力な上昇渦が発生することを立証した。それゆえにコンコルドには、非常に背の高い着陸装置と、前方視界のための垂れ下がった口先が装備されている
わけだ。

まともな航空の知識とは裏腹に、それはいわば空飛ぶ概念だった。しかし、キュッへマンはウェバーのに、コンコルドには傾斜した細い三角形の翼を採用するように嘆願した。

コンコルドでフライトした経験のない人々に知っておいてほしいのは、実際に乗ってもちっとも面白くないということだ。ヴィンテージ・シャンパンを無制限にがぶ飲みできるのは最高だが…。最初に滑走路をガタガタ揺れながら、さながらドラッグレースのように250mph(約400km/h)で滑走し、急角度で急上昇するところは間違いなく爽快なのだが、その後の大部分は興奮することがない。

コンコルドのキャビン内は、単なるエクゼクティブジェット機といった感じの広さで、頭上の空間がほとんどない。また、飛行高度が非常に高いため、通常は乱気流がない。そして、もちろんのこと、轟音を発するエンジンは後方で、音は置き去りにしているので、騒音もない。

私はニューヨーク行きの超音速フライトにたった一度だけ搭乗したことがあるが、轟音で自宅上空を通ったのにもかかわらず、自宅を見つけることができなかった。なぜなら、深くくぼんだ窓からの視界は非常に限られていたからだ。窓はたばこの箱より少し大きい程度しかない。しかも、気を紛らわせるための機内エンターテイメントもなかった。

コンコルドの本質的な目的は時間短縮であり、もちろんそれは見事に達成されている。しかし、その美しさやメカニズムの素晴らしさは、機内からよりも外からの方がより楽しめる。

卓越した才能に恵まれたヨハンナ・ウェバーは、1975年に引退し、2014年11月、サリー州のファーナムで亡くなった。御年104歳であった。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:東屋 彦丸 Translation:Hicomaru AZUMAYA Words:Delwyn Mallett 

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