アウトデルタの魔法│アルファロメオとモータースポーツの歴史

octane UK

有名なアルファロメオのレース部門が創設されたのは今から50年以上前のこと。だが、彼らが活動を休止してから、ずいぶんと長い時間が経ってしまった。しかしながら、イタリアに飛んだOctane編集部はアウトデルタの車がその魔力を少しも失っていないことを再確認したのである。

1963年のはじめ、アルファロメオはモータースポーツへ復帰する途を模索していた。華々しい栄光の歴史を持ちながらも、政府の援助を受けることになった名門アルファロメオは1952年シーズンのF1GP開幕を前にワークス活動から撤退していた。新しいレーシングカーを作るための金を政府から引き出すのは、いかにイタリアとはいえ難しい。その後の10年間、彼らは採算の取れる市販車の生産に集中していたが、それらの市販モデルの売れ行きが伸びてくると、たちまちアルファロメオはレースへの復帰を考え始めたのである。





とはいえ、モータースポーツ活動が金の掛かる遊びと見なされることを気にしたアルファロメオは、外部にその仕事の委託先を探した。ちょうどその頃、以前アルファやフェラーリでエンジニアを務めていたカルロ・キティという男が、アルファのディーラーを営んでいたルドヴィコ・キッツォーラと一緒に小さなレーシングガレージを始めていた。それがアウトデルタである。彼らはまさにアルファロメオが考える外注先として適役であり、すぐに契約が結ばれ、1963年の10月にはアウトデルタが仕立てたワークス・ジュリア・チュボラーレ・ザガートが、モンツァでのコッパ・フィーザで勝利を挙げたのである。

このレースは1570ccTZのデビュー戦であり、しかも2位から4位までも同様のアウトデルタの車が独占するという実に衝撃的なデビューだった。その後の活躍に期待が集まったのは当然だが、果たしてTZはクプデザルプやトゥール・ド・コルスを制し、そしてルマン24時間とタルガ・フローリオでのクラス優勝など無数の勝利をもたらした。



アルファロメオは賢明にも1965年にアウトデルタを子会社化し、その本拠地をウディネからセッティモ・ミラネーゼの工場に移転した。その頃既にアウトデルタは自前で生活費を稼ぎ出していた。ごく短期間しか生産されなかったにもかかわらず、美しいTZ2は国内外で活躍し大評判になっていたし、そして同じ年にはほぼ完璧なウィニングマシンであるジュリア・スプリントGTAを生み出した。

標準型ジュリア・スプリントGTを軽量化し、1600ccの105シリーズエンジンを積んだGTAはまさに小さなロケットだった。この車こそ1966年にニュルブルクリンクの北コースで10分を切った最初のツーリングカーである。その後2年間、GTAは世界中のサーキットで文字通り無敵の強さを発揮し、三つのヨーロピアンチャンピオンシップ、16ものナショナルタイトルを勝ち取ったのである。



その時点でアウトデルタが活動を休止したとしても、彼らの名声は今日まで残っていたはずである。しかしもちろん彼らの活動はさらに拡大していく。GTA1300ジュニア、GTAm、メイクス・チャンピオンシップを獲得した33TT12や33SC12に代表されるスポーツプロトタイプ、そして最終的にはアルファロメオのF1へのカムバックに重要な役割を果たすことになった。アウトデルタが徐々に表舞台から姿を消すのは1980年代になってからである。

現在のアルファロメオは、ご存知のように巨大なフィアットグループの一員であり、アウトデルタの名前を復活させることに興味を持つ関係者はいないと言っていい。しかしながら、幸運なことにアルファロメオのヘリティッジ部門であるアウトモビリズモ・ストリコがかつての宝物を適切にメインテナンスし、きれいに磨き上げ、時々はタイヤを回して守るという素晴らしい仕事を続けている。しかも彼らは喜んでその車のキーを渡してくれるのだ。



私がバロッコにいるのはそういうわけである。ミラノから車で一時間ほどの距離にあるバロッコは今、フィアットの広大なテストコースになっている。そこでかつての傑作モデルに試乗し、アウトデルタの50周年を祝おうというわけだ。バロッコのサーキットはこれまでに私が訪れたどんなテストコースとも違っていた。英国ではプルービンググラウンドというものは寒く殺風景な場所と決まっていて、壊れたトイレとハンバーガーのケータリングバンがつきもの、それも食べても食べなくても後悔するような種類のものである。だが、イタリアではそんなことは許されない。サーキットの路面は塵ひとつなく、きれいな舗装が総延長50kmも続いている。そこはまるでゴルフクラブと見紛うほど整然としており、しかもそのケータリングときたら、その辺のホテルが裸足で逃げ出すような素晴らしいクオリティなのだ。

他のジャーナリストと一緒に着いた私は、ブリーフィングを受けている間に、まず二度目の朝食を食べないという失敗をしでかした。続いてコーヒーを楽しんだ後(イタリア人は急がない)、メカニックたちが待つ広場へ案内された。そこにはお揃いの薄いブルーのオーバーオールを着たメカニックたちと、魅力的な元ワークスカーが整列して待っていた。そして私たちに、信じられないほど気軽に、どんなに珍しく価値のある車であろうと、好きなものに乗って好きなように走っていいと告げたのである。

Words: Robert Coucher

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