世界を変えた偉人の中でも、長い間、最も無名で誤解されていた人物とは?

octane UK

世界を変えた偉人の中でも、長い間、最も無名だった人物。それが今や、最も誤解されている人物になったようだ。
ニコラ・テスラの名前を、テスラモーターズが有名になったり、映画『プレステージ』でデヴィッド・ボウイが演じたりする前から知っていた人は少ない。

が、いまだに聞いたことがないとしたら、この10年ディケンズばかり読んでいたか、フェイスブックに30歳未満の友達がひとりももいないかのどちらかだ。

かつては、電気を家庭にもたらしたヴィクトリア朝の技師として知られたニコラ・テスラだが、今や、偉大な科学者、不遇の天才と称えられ、ハイテクマニアや、飛び交う電波からアルミホイルで脳を守れと言う陰謀主義者からも英雄視されるようになった。

現在、交流電流(AC)が普及しているのは、まぎれもなくテスラの業績だ。しかし、インターネットで少し調べると、X線やロボット工学、レーダー、速度計、垂直離着陸機までテスラが発明したことになっている。さらには、殺人光線兵器(政府によって秘密にされているが)や、無線による世界エネルギー無料供給システム(企業によってつぶされた?)を開発したとか、インターネットもテスラの発明だという者、果ては、テスラは人類を救うために遣わされたエイリアンだという者まで現れた。

皮肉なのは、こうした誇張が、実際の苦難や業績を少しも伝えていないことだ。ニコラ・テスラは、1856年、オーストリアの支配下にあったクロアチア(この地域の複雑な事情からセビリア人とされることも多い)で、厳格な司祭の次男として生まれた。小さなニコが5歳の時に、家族から溺愛されていた兄が落馬で亡くなる。ニコは繊細な子どもで、その上、この事故の原因を引き起こしたという憶測もある。これ以後、理想化された兄に向けられていた大きな期待を、小さい体で一身に背負うことになった。一説によると、24歳になる前から神経衰弱に苦しんでいたという。テスラは残りの人生を、自分が「まあまあ」だと証明するために生きた。だから1884年にアメリカへ渡り、憧れのトーマス・エジソンの元で働くことを選んだのも、当然の流れだった。テスラは、自分が抱く交流電流の革新的なアイデアを、エジソンなら理解してくれるものと信じていたのだ。しかし効率で劣る直流電流で既に財を成していたエジソンは、交流に関心を向けなかった。間もなくテスラは仕事をやめ、狡猾なエジソンが自分の才能を食い物にし、報酬でも約束を守らなかったと非難した。

悲しいことに、その後も“同じパターン”が続いた。それからの15年間で、テスラは交流の発電と送配電の技術を生み出し、西欧世界に衝撃を与えて名声を得たが、それがもたらす富は、いつも手からこぼれ落ちていった。ついに1901年、大資本家J. P. モルガンが、前述の世界無線送電計画への資金提供をやめ、テスラは経済的にもキャリアの上でも、破滅の淵に追い込まれてしまう。その後何年も、失われた名声を取り戻そうともがき続けたが、それが叶わぬまま、1943年、ニューヨークのホテルの一室で孤独な最期を迎えた。86歳だった。この悲劇的な結末は、必然だったのかもしれない。

テスラは、
研究者としては成功したが、自分の発明で財を成す発明資本家には、どんなにうらやんでも、到底なれなかったのである。テスラもお金は好きだった。特許も山ほど取っている。だが、金銭を追い求め、管理することに関しては、例えばエジソンなどと違って、魅力を感じなかったのだろう。そして、それに長けてもいなかった。

また、テスラには他人への共感や思慮が欠けてい
た。モルガンがテスラを見捨てたのも、よこしまな理由からではない(J. P. モルガンのことだから断言はできないが)。テスラは、世界的な無線交信ネットワークを開発するといって得た資金を、無線でエネルギーを送るという自説の実験に使ってしまったのだ。その上、モルガンに資金の上乗せをしつこく迫った。

テスラは強迫性障害を煩っており、自閉症だった可能性もある。現代で言えば、研究助成金の申請でうそをつくようなもので、キャリアを考えれば自殺行為だ。これでもまだ投資家に嫌われ足りないとでもいうように、テスラは大衆雑誌でセンセーショナルなテーマの論文を書き続けた。気象コントロールや、殺人光線などについてである。

そう、テスラは、殺人光線についても真剣に研究し
ていたし、レーザーやレーダーなども研究した。テスラはある方式の速度計を発明したが、普及したのは別の方式だから、速度計の発明者とは言えない。また、ある分野での「研究」「貢献」と、その「発明」とは、別のことである。しかし、テスラがこうした分野で重要な研究を行い、いまだに参考にされるものがあることも事実だ。それを支えたのは、尽きることのない情熱と、果てしない想像力だった。

野心的な若いハイテクマニアには、エジソンやモルガンよりも、テスラを手本にすることをお勧めしたい。発明家には情熱が何より大事だと思うからである。

編集翻訳:奥 担次 Transcreation:Tadatsugu OKU 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Dale Drinnon

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事