サファリをクラシックカーで巡る!壮絶な体験の数々

Photography: McKlein

イーストアフリカン・サファリラリーといえば、ダットサンや三菱、トヨタの活躍を知る日本のファンにとっては深く記憶に残るイベントだろう。その伝説のラリーは、2003年から1年おきに開催される"ケニア・エアウェイズ・イースト・アフリカン・サファリ・クラシックラリー"として、あの時と変わらないアフリカの壮大な大自然を舞台に繰り広げられている。

世界ラリー選手権の元チャンピオンが2人、ケニア・ナショナル選手権のチャンピオンが数人。さらにプロダクションカー世界ラリー選手権を2度獲得したチャンピオン、スウェーデン・ツーリングカー選手権チャンピオン。こうしたスター達が2013年のイースト・アフリカン・サファリ・クラシック・ラリーに名を連ねた。

参加車両も名車揃いだ。およそ半分を占めるのはポルシェ911で、ダットサン260Zやフォード・エスコートも多いのも頷ける。変わったところでは、フェラーリ308GT4やシボレー・コルベット、めずらしいフォード・カプリV8プラーナ(訳註:1970〜72年に南アで500台程度が生産された。フォード"302" 5リッターV8を搭載した初代カプリ)の姿もあった。



コースは約4000㎞におよび、これを8日間で走破するスケジュールだ。インド洋に面した蒸し暑いケニアの都市モンバサがスタートとゴール地点で、モンバサをスタートしたコンペティターはケニアとタンザニアの大自然を抜け、海抜ゼロ地点からケニア中部に位置する大地溝帯の標高2600mの高地までをカバーするという、今から60年前に始まった当時とほぼ同じ地域を走破する。

戦いはモンバサを出てすぐに始まった。サイザル麻農園を抜ける高速走行を強いられる砂っぽいセクションを終え、ツイスティーで石の多いタイタ丘陵へと出ると、ときおり象の姿を目にするようになる。多くのクルーが悩まされたのは暑さだった。タイヤからの臭気はもちろん、熱くなったフロアパネルに踏ん張るコ・ドライバーの靴底からもゴムの焼ける臭いが立ちのぼるといった具合なのだ。

元WRCチャンピオンのスティグ・ブロンクビストは、これまでクラシック・サファリではフォード・エスコートを駆って3回の上位入賞を果たしていたが、まだ総合優勝の機会はなかった。今回こそはと狙うブロンクビストはタティル社がサファリ用にプリペアしたポルシェ911に乗り換えての参戦となった。さっそく性能を試そうとばかりに、最初のセクションで最速タイムをたたき出し、初日をトップで終えた。



わずか1分差で続いたのは、ケニア・
ラリー選手権で6回チャンピオンのタイトルを手中にした地元の英雄、イアン・ダンカンのフォード・カプリV8プラーナだ。もう1人の元WRCチャンピオンで過去2回このイベントを征しているビョルン・ワルデガルドが3番手。僅差でこれに続いたのはパリ・ダカールのベテラン、ジェラルド・マルシで、その経験がサイザル麻農園セクションで生かされた。

経験者にはおなじみのはずの第1セクションで、サファリの常連たち何組かが窮地に陥った。多くの組が渡った古い踏切で、とんでもない角度に跳ね上がる車が続出したのだ。スティーブ・トローマンは跳ね上がった末に横転し、ポルシェ911はぺしゃんこになったが、なんとか走行を続けることができた。

翌日は、同じタイタ丘陵セクションを逆方
向に戻る。早朝は涼しかったが、上位陣には霧が出た。このツイスティーなセクションで大いに活躍したのが、元プロダクションカー世界ラリー選手権チャンピオンのグレゴワール・ド・メビウスで、BMAポルシェ911で往復どちらも最速タイムをマークした。だが、タンザニア国境まで続く70マイル(約113㎞)のセクションで最速だったのはワルデガルドで、3番手をキープしつつトップ2との差を縮めた。「こっちが諦めていないってことを見せなきゃいけないからな」とワルデガルドは笑う。



ヨーロッパ勢も速いタイムを出したが、2日目を終えて総合トップはケニアのイアン・ダンカン/アマル・スラッチ組だった。1分強の差で2番手を走るブロンクビストは、ブレーキトラブルを抱えていた。

現代のラリーでは、1日の走行距離がせいぜい100マイル(161㎞)というものもあるが、サファリラリーではコンペティティブ・セクションの1カ所でその距離を走り切ることもある。3日目の第1セクションがそれに当たり、スピードと耐久性の両方が求められた。このセクションではアクシデントもあった。ワルデガルドがコンクリートの浅瀬を全速力で横断中にポルシェ911を横転させ、リタイアとなったのである。ナビゲーターを任されていた息子のマティアスとともに、ワルデガルド父子は競技から除外されてからも追走し、スウェーデンから参加した7組のサポート役に回った。

3日目を終えてトップは変わらずケニアのダンカンで、ブロンクビストとの差はわずか15秒になったが、その後何度も経験することになるパンクに見舞われながらも首位を守りきっていた。2日連続で先頭が変わらなかったのは、この日のみだった。

トップ争い以外にも興味深い展開が。この日3つのセクションで最速タイムを出したのは、いずれもBMAポルシェのド・メビウスとムンステールだったが、スウェーデン・ツーリングカー選手権チャンピオンのリキャルド・ヨーランソンもサファリを理解し始め、非常にいいタイムを出した。ヨーランソンはダート競技の経験がなく、砂地を走ったのもサーキットのグラベルに嵌ったときだけだったが、そうした路面を高速で走るコツを着々と習得していった。


編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Franca Davenport 

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