1949年発刊の古書『ル・マン24時間』の美しい挿絵|AUTOMOBILIA 第8回

ル・マン24時間 通常版の表紙(Photos:Kumataro ITAYA)



今回の肴
恒例の写真説明。収められている挿絵はどれも魅力的で、つい写真が多くなってしまった。

□表紙
通常版の表紙。特装版も表紙はほとんど変わらない。革装版だけが全く異なっている。




□奥付
特装版の存在が高らかに謳われている。商魂が感じられるのはうがちすぎか。




□最初の挿絵
フランス西部自動車倶楽部の二代目会長。ル・マン24時間レースは彼の在任時に始められた。1947年に会長を辞している。




□最初のル・マン24時間レース(1923年)
優勝はゼッケン9のシェナール・ウォルカー。このように丸々1ページを用いたフルサイズの挿絵が19枚収められている。




□1925年のル・マン
No.49はシェナール・ウォルカーのタンク。No.5はロレーヌ・ディートリシュ。




□1928年のル・マン
1928の文字の上の挿絵でNo.3は5位のベントレー。優勝したのはNo.4のベントレーでここには描かれていない。ブルーのNo.32は7位のB.N.C. 左図は1927年のル・マンにおいて終盤までがんばったもののフィニッシュできなかったNo.4のアーリエか。




□1929年のル・マン
1929の文字の上の挿絵でNo.1は優勝したウルフ・バーナートのベントレー。この年は1位から4位までをベントレーが独占した。ベントレーの前を行くNo.5はベントレー群に続き5位に入ったスタッツ。左図のNo.8は1928年のル・マンで3位のクライスラー。




□1932年のル・マン
No.8は優勝したルイジ・キネッティらの乗るアルファロメオ8C2300。手前のNo.21はアストンマーチン。




□1933年のル・マン
No.11は優勝したタツィオ・ヌヴォラーリの駆るアルファロメオ8C2300。アルファロメオもこの頃は右ハンドルである。




□1935年のル・マン
1935の文字の上の挿絵。右の赤いクルマはチームの勘違いで5優勝を逃したアルファロメオ。その右のNo.7は5位のドライエ。左図は、ブガッティ好きのわたしには1934年のル・マンでフランス車最上位に入ったブガッティT44にみえてしまう。




□1937年のル・マン
前を行くNo.2はこの年の優勝車であるブガッティT57G。手前のNo.1はピエール・ヴェイロンの乗るブガッティT57Gで、こちらはリタイアしている。




□1938年のル・マン
1938の文字の上の挿絵はアルファロメオ8C2900B。トゥーリングボディのこのクルマは個人的にル・マン史上最も美しい一台だと思っている。残念ながら途中リタイアしている。左図は当時のル・マンの様子。




□1939年のル・マン
先頭は優勝したブガッティT57C。その他、ルイジ・キネッティがエントリーしたタルボ・ラーゴ、アメディ・ゴルディニの駆るシムカ、ラゴンダ、BMW328、アルファロメオ6C2500SSなど、まさに百花繚乱である。




□夜の章
ル・マンのドラマは夜に起こる。本書にはそのような夜だけをまとめた章がある。




□最後の挿絵
挿絵のトリは、フランス西部自動車倶楽部の1949年時の会長の肖像画である。




□今回の蛇足1 ドライバーの肖像画
ジオ・ハムは肖像画もうまい。右から二番目は3回ル・マンに参戦し、3回とも優勝しているウルフ・バーナート。ベントレーの会長職にありながら、最もポンコツのベントレーで参戦していたという。このようなところも英国好きにはたまらない。彼は1948年に没しているので、英国贔屓のわたしには、本書が彼に捧げられているようにも思えてしまう。




□今回の蛇足2 モナコのポスター
ジオ・ハムによる1934年の第六回モナコ・グランプリのポスター。

文、写真:板谷熊太郎 Words and Photos:Kumataro ITAYA

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