シトロエン CXプレステージュ|フランス大統領や実業家などVIPのための華麗なる一台

1976年製シトロエン CXプレステージュ(Photography:Martyn Goddard)



ユーリエは誰でも予想できる手法を用いた。つまりボディを中央で半分に切断し、10インチ(約25cm)ホイールベースを延長したのだ。このロングホイールベース・シャシーはCXブレーク、そしてユーリエが従来から扱っていた救急車と霊柩車のラインナップにも採用された。

もちろん、このラインナップの中で最も注目すべきはシトロエンが誇るスーパープレミアムカー、CXプレステージュだった。ロングホイールベース・シャシーに、シトロエンのカタログに掲載されている、あらゆるラグジュアリーオプションに加え、リアパワーウィンドウ、シガーライター、フットレストなども装備された。後部座席の足元は、従来型のどのベルリンよりも広いスペースが確保されている。

大統領は非常に満足したらしく(政治的な理由でプジョー604リムジンも使用していたが)、このプレステージュはすぐに彼のお気に入りの一台となった。最終的に、約4000台が内政や外交の職務用として購入された。また、身長が約190cmと大柄なジャック・シラク大統領が選挙の夜に行われた祝賀パレードで、自身が所有するCXプレステージュに乗ってパリを横断したことは有名である。彼はCXの生産が終了した1989年以降も、このエリゼ宮殿のために造られた車を長期にわたり愛用していた。

さらに約4倍の数のプレステージュが、企業のCEOやセレブリティー、海外のさまざまな政治家たちの手に渡ったが、中には製品イメージにとってあまり好ましくない人物もいた。1971年からベルリンの壁崩壊まで、東ドイツの最高指揮者であったエーリッヒ・ホーネーカーもそのひとりである。彼はCXの熱狂的なファンであり、2台のプレステージュを含め複数のバリエーションを所有していた。フランソワ・ミッテランの訪独に敬意を表そうと、プレステージュをさらに無理やり引き延ばしたが、悲しいかな、その実現を待たずしてベルリンの壁の崩壊と同時に失脚した。また、ルーマニア社会主義共和国の最高指導者であったニコラエ・チャウシェスクの妻、エレナも革命軍の手によって銃殺刑となるその日まで、プレステージュを愛車としていた。

元フランスの政府専用車
筋金入りのシトロエニスト、マイケル・クインランがプレステージュを手に入れたのは、さほど劇的でもないごく平凡なきっかけである。「5年前、パリで行われたオークションで落札しました。ありえないほど安かったので、下見もしないで購入したくらいですよ」実際、彼が口にしたのは、状態の良い中古のルノー・クリオの価格にも満たない数字だった。

「とりたてて多くの歴史が詰まっているわけではありませんが、典型的な落ち着きのあるブラックの塗装と淡黄褐色のインテリアを見れば、フランスの政府公用車であったことは間違いありません。そして彼らが好んだ布のシートもね。レザーでは会議へ向かう途中でズボンにテカリがでてしまいますから」

「これはごく初期のシリーズ1で、キャブレターとクロムバンパー、突起していないルーフラインが特徴です。シトロエンは、約9カ月後にリアシートの頭上をさらに高くしました(これもジスカール・デスタン大統領によるリクエストだった)。走行距離はわずか3万kmでしたから、きれいに再塗装し、ちょっとしたテストを行い、車体をカット&シャットによる溶接の継ぎ目を隠すためにユーリエが使用したビニールルーフを補修するだけで、あとはなにも必要ありませんでした」

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.)Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobicurators Labo.) 原文翻訳:渡辺千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation:Chikako WATANABE(CK Transcreations Ltd.) Words:Dale Drinnon Photography:Martyn Goddard

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