唯一の生き残り│2台のみ製造されたマセラティ3500GT

RM Sotheby's

車の価値など誰も気にしなかったその昔、重要な車がいったいどれほど失われたのだろうか。このマセラティですらその仲間入りをする瀬戸際だったことを考えれば、同様に希少な車が、考えたくもないほど数多くスクラップにされたに違いない。

写真から、見たことがある車だと思うかもしれないが、それはまずあり得ない。なにしろマセラティ3500GTスペチアーレの中でも、ピエトロ・フルアが手掛けたわずか2 台のうちの唯一の生き残りと考えられているからだ。フルアといえば、クアトロポルテやミストラルのデザイナーとしてマセラティとの関連が真っ先に思い浮かぶ。

この車は、まずスイス南部ルガーノのマセラティディーラー、マルティネッリ&ソンヴィコに送られ、200マイル近く離れた首都ベルンに住む最初のオーナーに販売された。おそらくそこで一流の"紳士の急行"として務めを果たしたのだろう。それから15 年の間にどういうわけかシカゴに行きつき、そのときには繊細なカーブを描くリアウィンドウとエンジンを失っていた。



車の救い主といえるのは、アメリカのコンクールイベント、コンコルソ・イタリアーノの創始者フランク・マンダラーノで、車を1980年代の大半所有していた。しかし、ヒストリーを調べ上げたのは1996年にオーナーになったマセラティコレクターのジョン・ブックアウトで、その重要性を確認すると、フルレストアに取りかかった。レストアは次のオーナー、マセラティのエンスージアストでレストアラーのキース・デューリーに引き継がれ、10年ほど前に完成した。

過去の栄光を取り戻すためには、同時代の3500GT エンジンを完全にリビルドして搭載する必要があった。また、フルアの作品であることを示す細かな印も当時のパーツで残さず再現されている。例えば特殊なヘッドランプベゼルや、ほっそりと美しいバンパーだ。クォーターガラスの上にさりげなく配置された小さな三つ叉のバッジも見逃せない。



メタリックブルーのペイントも見事な出来栄えで、内装の豪華なタンレザーやグレーのカーペットも素晴らしい。その高い品質が評価され、現オーナーはアメリアアイランドやグリニッチのコンクールで受賞している。

唯一の兄弟車の運命は不明だが、とうの昔に塵と化したと考えられている。読者の中に何か知っている人がいたら、ぜひ教えていただきたい。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA

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