イタリアとアメリカの血も色濃く流れる偉大な英国車

Photography: Matthew Howell

1960年代の素晴らしいGT、ジェンセン・インターセプターは、長年不遇に耐えてきた。イタリアとアメリカの血も色濃く流れるが、実に偉大な英国車なのだ。その理由をひもとこう。

ジェンセン・モーターズが成長路線に舵を切り、高級スポーツカー市場に打って出たのは1960年代だった。ジェンセンは英国中部の工業地帯に生まれた中小企業であったが、新規に投入することになったパワフルなGTにインターセプターの名前を授けた。実は1950年に一度使ったことがある名の再利用だったが、それは新型車にぴったりのネーミングであった。人々は、高速迎撃機を意味するインターセプターの名前を聞いただけで、グラマラスでスピード感あふれる魅力的なイメージが思い浮かべた。排気量の数字や"GT"などのジャンルを連ねただけのネーミングが一般的な中で、ジェンセンはマーケットに自社のモデルを強く印象づけることに成功したのだった。

今日、1969年のシリーズⅠを間近に見ても、その名に違わぬ姿に驚嘆の念がわく。これほど時代の香りを強く放つモデルはなかなかない。“さりげなさ”はないかもしれないが、“無駄をそぎ落とした荒くれ男”といった風情には、抗しがたい魅力がある。

ところがインターセプターは、高名な批評家たちから長らく雑種扱いされ、メーカーのパーツの寄せ集めと見下されてきた。欠陥があるとか、組み立ての品質が二流だとかいう評判もこれに加わったから、雑種どころか金の無駄といったイメージを持たれていても無理はない。そのためインターセプターは、イタリアのスーパーカーに張り合う存在とは見なされていない。"背伸びをして気取ってみたが、今ひとつ決まっていない奴"といったところか。



誤った見解をダラダラと紹介していては、この車の本質を見失ってしまう。話を進めよう。インターセプターは、非常に優秀なグランツーリスモなのである。しかも、期待を大きく上回るほど優秀なのだ。一番の目玉がデザインにあることは間違いない。だが、それは魅力の半分にも満たない。

世は移り変わり、今になってインターセプターが正当に評価されるようになり、需要は高まっている。インターセプターに41年間携わってきたクロップレディ・ガレージのボブ・チェリーも驚いている。

「変化が起きているのは間違いない。値段は上がっている。つい最近までは、私たちが売った一番高いものは、コンバーティブルの5万5000ポンドだった。それが去年の11月に、標準的なインターセプターⅢが7万5000ポンドで売れたと聞いている。私たちも最近10万ポンドで1台売った。2月には、あるオークションに11万ポンドで出品されたものもあった」

「投資の対象と見られているのかどうかは分からない。それとも、007の新刊(ウィリアム・ボイド著『 Solo』)でジェームズ・ボンドがジェンセンに乗っているからなのか。いずれにしても、飛ぶように売れているよ。車を調達するのが深刻な問題になりつつあるほどだ。今でもパーツの90%が新品で手に入り、残りの10%も中古品が見つかる。この年代の車ではめずらしいことだ」

インターセプターが会社を劇的に成長させたことは間違いない。それまでのジェンセンは、総生産台数が1000台に達するまでに、1935年から1967年までの32年間もかかるほどの規模だった。

インターセプターは1966年のアールズコート・モーターショーで発表されたが、初の社内デザインではないモデルでもあった。それだけでも、ケルヴィン通りのジェンセンの工場にとっては一騒動だった。インターセプターはC-V8の後継車として企画された。

C-V8はいい意味でちょっとした変わり種だった。奇抜なデザインのグラスファイバー製ボディのC-V8は、乗り心地がよく、非常に速かった。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words: Richard Heseltine 

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