自動車雑貨店だった! 高級ブランドの知られざるもうひとつの起源|AUTOMOBILIA 第9回

ダンヒルの店内装飾品(Photos:Kumataro ITAYA)

ダンヒルには大きくふたつの起源がある。ひとつは1893年の英国ロンドンでアルフレッド・ダンヒルが旗揚げしたDunhill’s Motorities、すなわちダンヒルの自動車雑貨店。もうひとつは1907年にロンドンのセントジェームズにアルフレッド・ダンヒルが開いた喫煙関連の店である。

DUNHILL MOTORITIES
現在では様々なラグジャリーグッズを扱うダンヒルだが、元々は自動車雑貨店の類であった。自動車の台頭を見越したアルフレッド・ダンヒルが扱う自動車関連商品は多岐にわたり、ヘッドライトや自動車用ホーンのような部品からピクニックセットなどまで、その数は1300点ほどにまでなっていく。すっかりラグジャリーブランドのひとつとなった今でも、ロンドンやパリや銀座のダンヒル店内に自動車関連の装飾が多くみられるのは、このような背景によるものである。

1960年代から70年代にかけて、ダンヒルといえば、まず思い浮かぶのがパイプ。それすら、オープンカーでもパイプによる喫煙が愉しめるように、とダンヒルが独特の風除けのついたパイプを考案し、1904年に特許を取得したことに端を発している。

フランスを代表するラグジャリーブランドのひとつであるエルメスも、出自は馬具屋でダンヒルと似たところはあるものの、ダンヒルほどストレートにクルマとの深い関わりを持つハイブランドは、他に例をみないかもしれない。

ダンヒル、ベントレー、ウルフ・バーナート
ダンヒルの商品のなかには、特定の自動車メーカーを意識したものがいくつか存在する。店内にもそのメーカーを彷彿とさせるものがディスプレイされていたりする。そう、そのメーカーのひとつはベントレーである。戦前、古き良き時代のロンドン、裕福なスポーツマンたちの集うクラブやパブ、その前に駐められているのは、やはりベントレーでなくてはならない。ベントレーボーイズとダンヒル、これほどしっくりする組み合わせも少ない。

ベントレーボーイズ、とくれば、ウルフ・バーナート。前回の当コラムでもとりあげたように、彼はルマン24時間レースにベントレーで3度出場して、その3回ともすべて優勝している。

実はそのウルフ・バーナート、彼はもうひとつの偉業を達成している。それは、ブルートレインとのレースである。

時は1930年3月12日、フランスの保養地カンヌにあるカールトンホテル。そこでウルフ・バーナートはジョンブル特有の遊び心たっぷりの賭けをする。ブルートレインがカンヌを発ってドーバー海峡沿岸の町カレーに到着する前に、彼は自らのベントレーでロンドンのセントジェームズにある馴染みの倶楽部:ザ・コンサーヴァティブに着いている、というのである。ちなみに賭け金は100ポンド。

この賭けが宣言された翌日、すなわち1930年3月13日、ウルフ・バーナートの駆るベントレーがカンヌを発ったのは、ブルートレインがカンヌを出発したのと同じ17時45分のことだった。

1930年当時、24時間営業のガソリンスタンドなどという便利なものは存在しない。そのため、あらかじめ給油ポイントを決めておき、そこにガソリンを用意しておく手筈だった。

ところが、その日は生憎の悪天候。よもや、こんな晩に酔狂なレースなど決行しないだろうと、準備されるべきガソリンが用意されなかった。

また、豪雨や霧、その上、主要道路でも未舗装だったため、タイヤもバーストに見舞われる。そんなトラブル続きで時間をロスしながらも、ウルフ・バーナートはロンドンの倶楽部に、3月14日15時20分に到着。それは、ブルートレインがカレーに到着するよりも4分ほど早かったのである。

1930年当時、地上最速の移動手段は鉄道だった。特に速度と豪華さを併せ持つことでブルートレインは最上の乗り物とされていた。そんなブルートレインに勝ったのだから、ウルフ・バーナートとベントレーは、またもや名を挙げることになった。当時は写真報道が現在ほど普及していない。ビジュアルとしては鉄道画家として知られるテレンス・クーネオが描いたブルートレインと並走するベントレー・ガーニー・ナッティング・クーペが唯一に近い存在。これが誤解の発端となる。そもそもこの絵画は想像の産物で、実際の道中にブルートレインとクルマが並走できる場所はなかった。

最近の調査では、ガーニー・ナッティングによるベントレー・クーペがウルフ・バーナートに納車されたのは、ウルフ・バーナートがブルートレインと競った3月13・14日から遅れること約2ヶ月、1930年5月21日のこと。ブルートレインとの勝負で実際にバーナートが乗っていたのはマリナー製のスピードシックス・セダンだったことが判明している。

余談だが、かつてルイヴィトンが冠をつけて行なっていたコンクールデレガンス=ルイヴィトンクラシックにおいても、2003年のベストオブザショーに、ベントレー・ガーニー・ナッティング・クーペが選ばれている。それから暫くして、ベントレーはブルートレインとのレースに使われた個体をマリナー製のセダンだったと認めるのだが、長期間、美しき誤解をそのままにしていたのは、コンチネンタルGTの成功にもつながったベントレー・ブランドを守り、そして強化する狙いがあったように思う。

尚、ダンヒルの店内装飾や商品にモチーフとして用いられることのあるベントレーのRタイプコンチネンタル。このRタイプコンチネンタルとは、ベントレーにまつわる上記のようなエピソードから、大陸をいく鉄道(レイルカー)のようなベントレー、という意味が込められている気がしてならない。

文、写真:板谷熊太郎 Words and Photos:Kumataro ITAYA

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