スーパースポーツカーの概念を打ち崩した1台│ブガッティ EB110

Photography:Paul Harmer

ブガッティEB110は、それが誕生したころの最先端技術をふんだんに取り入れたモダンスーパーカーであった。当時、"世界最速の市販車"という称号を手に入れたもののそのルックスからエンスージアストの間で意見は二分され販売は思うように伸びずに終わった。だが、EB110は近年希にみる名車なのである。

ブガッティEB110を語るうえで、一言一言がどうしても誇張した表現になりがちだ。ステアリングを握ったことがある人ならば、その言葉は感嘆ばかりの短いものになる。たとえば、その加速力を言葉にすると"死ぬほど速い"といった類に落ち着いてしまう。



スタイリングについての意見は見事なまでに分かれる。私は個人的に不思議なほど格好がいいと思っているが、これとは正反対の意見を述べる人がいるのも事実だ。EB110のデザインには"用心深さ"が一切ない。1991年に登場した際、EB110はノスタルジーに浸ることなく、未来をカタチにしてきたのだろう。ただ、ご存じのとおり販売は惨憺たるものだった。商売的に成功できなかったことはさておき、この車はかつて輝き、今なお輝かしい。

まず、EB110が誕生に至った概要を述べておこう。EB110の計画を打ち立てたのは、誰あろう、フェルッチオ・ランボルギーニだった。1980年代半ば、フェルッチオは自らが創業したオートモビル・ランボルギーニ社とは無関係の立場にあった。そして、再びスーパースポーツカーメーカーを興すことを画策していた。もうひとりのキーマンに、イタリアとドイツでフェラーリディーラーを展開し、大きな成功を納めていたロマーノ・アルティオーリがいた。アルティオーリはヴィンティッジ・ブガッティを所有し、いつかブガッティ社の復活を願うエンスージアストでもあった。

1986年のトリノ・モーターショーの会場で、ランボルギーニとアルティオーリが出会うことになった。この場でふたりが交わした言葉こそが、EB110構想の種となったのは間違いない。その後、ランボルギーニは興味を失ってしまったが、アルティオーリはブガッティ社の復活と新たなスーパーカーを現実のものにしようと奔走した。

それまで何度かブガッティの商標を買収しようとする話は存在したようだが、商標を持つフランス国営企業のスネクマ社(現:サフラングループ傘下)は拒み続けていた。アルティオーリがどのような説得術を用いたのかは知る由もないが、1987年10月、彼の手によって新生ブガッティ社がイタリア・モデナに設立された。

新生ブガッティ構想からはフェルッチオ・ランボルギーニが抜けてしまったが、アルティオーリは次々に有名人を口説き落としていった。まず、技術責任者として迎え入られたのはランボルギーニ社でカウンタックを設計した、パオロ・スタンザーニである。残念ながら彼はEB110の開発途中で、アルティオーリとの埋まらぬ溝のために辞めてしまった。



後任には、これまた有名人のニコラ・マテラ
ッツィを招聘した。マテラッツィはランチア・ストラトスのプロジェクトリーダーを務めただけでなく、フェラーリ・テスタロッサ、288GTO、F40といった錚々たる顔ぶれの生みの親であった。そして、デザイナーにはカウンタックを手掛けたマルチェロ・ガンディーニを迎え入れた。

モデナ郊外のカンポガリアーノに建設された最新鋭の工場には、惜しみない資本が投下された。工場はアルティオーリの従兄弟で建築家のジャンパオロ・ベネディーニが手掛けた。建築家でありながら後にEB110のデザインも手掛けることになるとは誰も想像していなかっただろう。

EB110のスペックは、それまでのスーパースポーツカーの概念を打ち崩すものだった。基本レイアウトはスタンザーニが手掛けたもので、当初はアルミニウム製モノコックボディを採用するはずだった。後にボディ剛性の不足が懸念されたため、フランスのエアロスパシアル社(現:EADS社)に協力を仰ぎ、カーボンファイバータブの開発・生産が進められた。このカーボンタブを包むボディパネルはアルミ合金だ。

バンク角60度のV12気筒エンジンは排気量こそ3.5リッターと控えめだが、4基の小さなIHI製ターボチャージャーを備えていた。最高出力は560ps(スーパースポーツは611ps)を誇っていた。20年以上前にこの数値を見せつけられたら、誇張した表現にもなるだろう。

強大なパワーを受け止める駆動システムは四輪駆動で、これに6段マニュアルトランスミッションが組み合わせられた。サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン式で、ブレンボ製ブレーキを備え、タイヤはミシュランが専用品を供給した。ホモロゲーション取得段階で最高速度は340km/hに達し、"世界最速の市販車"という称号をすんなり得た。まさに1963年から休眠していたブガッティの復活を飾るに相応しい称号だろう。

アルティオーリはブガッティの再出発、つまりはEB110の開発にあたって最新テクノロジーを重んじ、既存の自動車産業における常識からの脱却を目指していた。すなわち、世界を震撼させる新生ブガッティの誕生を夢見ていたのであった。一方、スタンザーニやガンディーニはランボルギーニではできなかったこと、自分たちの思い描くスーパースポーツカー像の集大成をEB110に託そうとしていたのかもしれない。だからこそ、スタンザーニはカウンタックで採用に至らなかったアルミモノコックボディを使いたいと考え、ガンディーニはカウンタックの空力特性を突き詰めたようなデザインをEB110のプロトタイプに施したのだろう。実際、EB110のプロトタイプ写真が雑誌に出回った際、各誌が「新型ランボルギーニをスクープ」と報じたくらいだ。



スタンザーニとガンディーニはそれぞれの道におけるプロフェッショナルであり、彼らなりの集大成をEB110で具現化しようと行動した。しかし、なにかの延長線上にあるものではない、"新しさ"や"衝撃"を追い求めていたアルティオーリにとっては物足りなかった。しばしば彼らと意見が衝突し、ふたりはEB110が市販される前にブガッティ社を去っていた。

編集翻訳:古賀貴司 Transcreation:Takashi KOGA Words:Richard Heseltine 

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