裏庭の垂直離着陸機│飛行機のスーパーカー版 ハリアーを買う

Photography:Jonathan Jacob



「2007年にハリアーが売りに出ているのを見つけた。そこで
妻に『メル、これを逃す手はない。ハリアーを買おう』と言ったんだよ。さっそく小切手を切って、キットの形で家に持ち帰って組み立てたところ、比較的すぐに売れた。今までに私たちが手掛けたハリアーは、これを含めて11機あるけれど、ほかはどれも不完全な状態だった。完全に動くものはこれが初めてだ。私たちの知る限り、動くハリアーGR3"ジャンプジェット"を販売した者はひとりもいない」

国防省の飛行・整備記録F700によると、XZ130の最後の飛行は1990年8月31日で、アメリカ空軍の交換パイロット、L.Y.チン大尉の操縦だった。最終的な総飛行時間は3336時間に上る(ちなみにアメリカ海兵隊は、カーボンコンポジットを使用したAV-8B ハリアーⅡをマクドネル・ダグラス社と共同開発し、今も使用している)。

最初の配属先は、冷戦の最前線だったドイツのRAFギュータースロー基地で、1982年にはフォークランド紛争にも参加。また、RAFのハリアー飛行隊のすべてに所属した。つまり、これ以上ないほどの輝かしい経歴を誇るのだ。



現役を退いたXZ130は、シュロプシャーにあるRAFのコスフォード基地で指導用機体として使われた。偶然にも、クリスもこの機体を通してハリアーの知識を学んでいた。クリスがRAFを去ったその年に、XZ130はサービトンのRAFエアカデット(10代の少年少女が所属する組織)に移され、屋外に展示されて門番を務めた。幸い、エンジンや補助パワーユニットは腐食防止オイルでケアされ、インテークもカバーで覆われていたが、決してよい環境とはいえない。「屋外に置いておくと飛行機は死んでしまう」とクリスは話す。

国防省は2014年にXZ130の撤去を決めた。競争入札となり、購入を検討する者が見学にやってきたが、ひとつ問題があった。2005年から2014年までの間に周囲にいくつもの建物が造られたため、搬入の際は大型のクレーンを使えたのだが、撤去のために同様のクレーンを入れることは不可能になっていたのだ。そこで国防省は、実行可能な移動計画を立てた者を優先することにした。ただし、撤去作業は2日間で終えなければならないという条件つきだ。



クリスはこの入札に勝った。腕利きのドライバーの運転で、リアに小型のクレーンが付いた低床トレーラーで乗り込むと、ジェット・アート・アビエーションの同僚と共に、ハリアーの翼やノーズコーン、テールセクションを取り外した。ブレーキを解除してタイヤに空気を入れると、機体をトレーラーまで牽引していき、荷台に載せることに成功。ぎりぎりの幅しかないゲートを抜け、住宅地をバックで通過して、ようやくXZ130は新天地へと向かうことができた。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.)  Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:John Simister 

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