マッドマンのためのスポーツカー│中には隠しミニバーが?

カリフォルニア生まれの車「Muntz Jet(マンツ・ジェット)」は、自ら「マッドマン」と名乗った悪名高きアール・マンツが出資して作らせた車である。電気技師であり起業家でもあったマンツ氏はなかなかの切れ者で、その才能を生かしてタダ同然の安いテレビを製造し、さらに中古車販売で財をなした。彼が有名になったのは、黎明期のテレビコマーシャルで自ら道化を演じたからだ。生放送のコマーシャルでハンマーを手に「この車が今日中に売れなければ、たたき壊します」と言ったりした。

マンツ氏は手の抜きどころを心得ており、セールスマンとしても優秀だったが、高級スポーツカーの開発とは無縁に思える。しかし、そうした需要がハリウッドで高まっていると見抜いたマンツ氏は、1950 年にフランク・カーティスから2座の「カーティス・スポーツ」のライセンスを買い取った。

大は小を兼ねるとばかり、マンツ氏はすぐにカーティス・スポーツのホイールベースを延長して後部座席を付け加えるよう命じ、"新しい" 車を「マンツ・ジェット」と名付けた。最初はキャデラックのV8エンジンを搭載したが、その後リンカーンにスイッチして337cu-in(5522cc)のフラットヘッドV8になり、さらに341cu-in(5588cc)のOHV V8へと変わった。どれも直線のパフォーマンスだけは十分であった。

マンツ・ジェットには、さらにお金持ちを喜ばせる様々なオプションがあり、その中には隠しミニバーまであった。この車についてだけはマンツも手を抜かず、細心の注意を払って生産された。

いわゆる複雑な経緯をたどれば「船頭多くして…」という事態に陥りがちだが、不思議とマンツ・ジェットは宮殿のように豪華で華やかでありながら、車としての性能も申し分なかったのである。ただ残念ながら、問題は製造コストがかさむことだった。

「1台造るのに6500ドル掛かった。その値段ではま
ず売れなかっただろう。売価5500ドルでは生産が追いつかなかったが、いずれにしても続ける資金はなかったんだ」とのちにマンツ氏は語っている。そのため、現存が確認されている総台数は49台のみ。

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation: Shiro HORIE 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA

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