危険な山岳を巡る47台のロール・スロイス シルバーゴースト

Photography:Jamie Lipman

『1913年アルパイン・トライアル』の軌跡を47台のロールス・ロイス シルバー・ゴーストがたどった。当時のイベントで紛れもなくスターだったマシンを、Octane UK マーク・ディクソンが駆る。

テキサス州出身のドラッグレース元チャンピオン、バディ・コルティネス氏の場合、ファニー・カーのドラッグスターをかたどったゴールドのペンダントを首に光らせている。これは同業のドラッグレーサーでガールフレンドの彼女から贈られたプレゼントだ。バディ氏は昔、テキサス州で保釈保証人を生業としていた。ペンダントはもちろんのこと、ピストルさえも隠し持っていたというわけだ。



そもそもヴィンテージ・ロールス・ロイスのドライバー像は型にはまっていない。ここイタリア北部の山岳地帯に集まるクルーには、たしかにペブルビーチの常連もチラホラいる。でも実のところ、並ぶ車は似ていても持ち主の経歴はさまざまだ。ニュージーランドのオールブラックスに所属していた元ラグビー選手。元のロンドン市長。そうかと思えば同族経営で財を成し、夢を叶えたのであろうご夫婦のチームもいる。彼らの夢は、かの有名な史上最高級車「ロールス・ロイス シルバー・ゴースト」を持つことである。シルバー・ゴーストは1907年から1926年までに約6000台が生産され、うち約1000台が現存しているという。

1913年アルパイン・トライアルは正にロールス・ロイスの独壇場であった。世界でもまれに見るタフなラリーに、ロールス・ロイス社はワークス・チーム3つと、ジェームズ・ラドリー氏のプライベーター・チームひとつをエントリーしてイベントを完全に支配したのだ。ロールス・ロイス車はほぼすべてのTC(タイムコントロール)に最初に到達し、19の峠をふくむ1654マイルを7日間で走破した。そのゴールの時ですら、ラジエーターキャップのシールが剥がされていた車は1台もなかったのである。

私が一行に追いついたのは全行程の半ばほどだった。1週間前にオーストリアのザルツブルクで始まったこのトライアルは、今から1週間以上後に同地でフィニッシュするのだ。

その夜、参加車両はありえないほどに美しいガルダ湖畔に集結していた。湖畔では花火が上がり、月明かりに照らされた湖面に幻想的に映えることになる。そこには約100台のシルバー・ゴーストがずらりと並んでいる。トライアルを正しく再現しているエントラントは半数ほどだけだが、残りはRREC(ロールス・ロイス・エンスージアストクラブ)など、別のツアーに属しているのだ。



我々は絶妙のタイミングで追いつけたようで、これまでの7日間の様子も聞くことができた。どうやら話題には事欠かなそうだ。今のところ、トライアル参加者に起きたパンクは25回。シルバー・ゴーストのエキスパート、ジョン・ケネディ氏によれば、今日は普段よりも路面のグリップがよく、そこにモダン・ヴィンテージ・タイヤのラバーの食い付きが重なって、リムからタイヤが引き放されてしまったのだろう、との推測だ。いちばん派手なトラブルは、リムそのものが外れて沿道の庭に転がっていき、その家の車にぶつかってしまったという話だった。幸い、ロールス・ロイスのオーナーがポリッシュ・キットを取り出してタイヤ跡の汚れをふき取ったところ、腹を立てていた家主も機嫌を直してくれたようだ。

最もたいへんだったのは、ボブ・キルバーン氏の1921年シルバー・ゴーストである。なんと一般車両に追突されて燃料タンクが破裂してしまったのだ。それでも「俺のロールス・ロイスは"へこたれやしない"」と判断したボブは、緊急用のジェリー缶を装着して、さらに電動ポンプをランニング・ボードにボルト締めし、30kmごとに缶を代えながら走り続けたという。フィニッシュでは彼の敢闘をたたえて、ロールス・ロイス・モーター・カーズ社から「スピリット・オブ・アドベンチャー・アワード」が贈られたとのこと。

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation:Shiro HORIE 原文翻訳:フル・パッケージ Translation:Full Package 取材協力:ロールス・ロイス・モーター・カーズ社、20ゴースト・クラブ、ジョン・ケネディ氏

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