たちまち10000回転まで吹け上がる12気筒ボクサーエンジン│フェラーリ312B2

Photography:John Colley Archive photograph:Jarrotts

美しいオリジナル状態を保ちつつ繊細にレストアされた、ジャッキー・イクスが駆ったフェラーリF1。跳ね馬70年代の記憶がまざまざと呼び覚まされる。

フェラーリが1971年に走らせたF1、312B2の第1号車たるシャシーナンバー"005" が最近公開された。所有するのはフランス人のジャック・セトン氏、ほかにも数十台を保有するF1コレクターである。シーズンを終えてからの36年間、エンジン音をあげることなくずっとガレージで過ごしてきた"005"は、ボディに数カ所に小さな緑青を葺いていたものの、塗装はオリジナルであり、カンパニョーロのホイールも当時のままという状態だ。クリーンなデザインはいかにもフェラーリらしいもので、何より水平対向12気筒エンジンがDFVを積むF1とは一線を画していることを声高に主張している。

愛くるしい格好ではないけれども、優雅であり、目
的に合ったスタイルは今日の兵器を思わせるF1に通じるものさえある。もちろん今日的な車ではない。といってクラシックレーサーが持つ特別なアイコンがあるわけでもない。B2はそれ以降のF1が進む道を指し示した存在、そういってよいだろう。

B2の前身312Bが登場してからの1970年代は、フェラーリにとって"当たり"の10年となった。あまり誇れない年もあったが、B2はマウロ・フォルギエリに汚名を晴らす機会も与えてくれた。1960年代終わりに彼は惨憺たる成績を理由にスクーデリアを去っていたからだ。市販車部門に転属させられながらも、彼は腐ることなく水平対向12気筒エンジンと312Bシャシーの構想を描き、それが認められて現場に復帰した。細身なボディ、コクピットを囲む大胆なデザインはフェラーリの新しい方向性を示しながらも、ボディ構造そのものは多鋼管スペースフレームにアルミパネルを貼り合わせるというフェラーリ伝統の、といえば聞こえはよいが、すでに時代遅れの手法を採用していた。しかしそこには人に期待を抱かせる何かがあった。水平対向12気筒エンジンである。フォルギエリが3リッターF1エンジンにフラット12を採用した理由は2つある。ひとつはV型エンジンに対して圧倒的な重心の低さ、もうひとつはボディ表面の空気の流れを阻害することの少ない優れたエアロ形状を獲得できることだった。

ジャッキー・イクスは1967年にF1デビュー、68年にはすでにフェラーリのNo. 2となり、翌年は一時的にブラバムに移ったものの70年からはエースドライバーとしてフェラーリに舞い戻った。そこで待ち構えていたのが312Bだ。フェラーリはフラット12エンジンを積む312Bを初戦から投入した。Bが水平対向エンジンであるBoxerを意味するのはいうまでもない。シーズン序盤はポテンシャルを示しながらも信頼性の欠如で好成績は残せなかったが、シーズン後半から本領を発揮。レガッツォーニの初優勝を含め4勝を挙げた。3レースを勝ったイクスはチャンピオンシップポイントで故リントに僅差に迫る活躍を見せた。

1971年、新加入したマリオ・アンドレッティが初戦南アフリカGPで初出場・初優勝という快挙を達成するが、車は前年型の312B。71年用の改良型312B2はモナコGPから投入される。B2は成功したB1(区別するとき312Bはこう呼ばれる)と基本設計は同じながらウェッジ状ノーズとリアブレーキのインボード化、さらにバルブ径の拡大で20bpsのパワーアップを図ったことが特徴である。キャラミでの初テストでは312 B2 の1 号車、"005"をレガッツォーニがひどくクラッシュさせる。

数週間後に行われたレース・オブ・チャンピオン
ズでレガッツォーニは修復なった"005" で、スチュワート/ティレル001に1.4秒差の3位に着けた。小雨の降るレースでは序盤苦戦したものの、路面が乾き始めると一気にトップを交わして23.6秒の差をつけて大勝した。しかし1972年最大の活躍といったら西ドイツGPだろう。"005"にとって初の、そして唯一のグランプリウィンではあるが、イクスにとっても思い出深い勝利でもあるのだ。彼の輝かしいキャリア、すなわち、6 回のル・マン24 時間ウィナー、バサースト1000に始まりパリ-ダカールへと至る数々の勝利に比肩するほどの1勝だからである。なにしろ彼の叩き出したポールタイム7分7秒000は、前年に宿敵スチュワートが出したタイムより13秒も速かったのだから。もちろんレースでも敵なし。2位に入った僚友レガッツォーニに48 秒の大差をつけての圧勝であった。

1973年になるとフォルギエリは横道にそれたような車づくりを始める。結局は陽の目を見ることなく終わったが、B3 "除雪車(スパッツァ・ネーヴェ)"プロジェクトである。B2よりさらに大きなダウンフォースを得ようとノーズをはじめボディ全体を極端なウェッジ形状としたものだが、もっともこれは実験的な色合いが強かった。本命は、イノチェンティ出身の技師サンドロ・コロンボが進めていたB2のモノコック仕様であった。ようやく時流に追いついたわけだが、結果は惨憺たるもので、失望したイクスはシーズンが終わる前にチームを去った。アルトゥーロ・メルツァリオが後を受けたが、多大な努力が報われることはなかった。

しかし、フォルギエリが作った水平対向12気筒エンジンがその後、究極的ともいえる素晴らしい結果をフェラーリにもたらしたことはご存知のとおりだ。ラウダに1975年と77年、ジョディ・シェクターに79年のドライバーズタイトルをもたらす原動力となった。しかし徐々に逆風も吹き始める。幅広くかつ低位置にマウントする独特のエンジン性質はそれまでのアドバンテージから一転、威力を発揮し始めたグラウンドエフェクトという魔法の空力設計にはまったくそぐわないものだったからだ。

時代の波はナローブロックを要求し、この不朽の名
作の終焉を物語っていた。ただ、ひとりのドライバーだけはフォルギエリの作品の真価を認めていた。フロリダを本拠に活躍していたブライアン・レッドマ
ンである。この水平対向エンジンを積んだスポーツカー、フェラーリ312PBで72年から73年にかけて多くの勝利を挙げた。近年レストアされた005でモナコGPのヒストリックイベントを走った彼は、このエンジンのF1もスポーツカーレースもこなせるオールラウンダーぶりにいたく感銘したと述べている。

「楽しかったよ。F1で初めてここを走ったときは集団の後方を走るしかなく、速い車にはたちまちラップ遅れにされたものだが、この車ではそんなことはないね。ことにストレートが速い。レストアしたモデナ・モータースポーツのウヴェ・メイスナーから言われていたように8000回転以上は回さなかったにもかかわらずだ。もちろんコースになんか慣れちゃいない。1974年以来だからね」と興奮気味に語った。

「B2はスポーツカーの312PBにとてもよく似ている。バルブタイミングやギアボックス、ブレーキなどに違いはあるが基本は同じだ。とくにギアボックスがいい。シフトアップが右でダウンが左という特異なパターンには緊張させられるが、手のひらですばやくシフトできる小気味よさは格別だったぜ」

「だがこの車のキモは何といってもエンジンだね。スターターボタンを押せばたちまち10000回転まで吹け上がるし、そのときの音といったら信じられないほどの素晴らしさだ。グッドウッドでドライブしたときなどイヤープラグを着けるのを忘れたほどだよ」

同じことを最近のV10エンジンでやってみたら大
変なことになることは明白。病院行きは確実である。成績のうえで好不調の波はあっても、エグゾーストサウンドは変わらず常に魅力的。それがこの時代のフェラーリ・グランプリカーの美点なのだ。312B2よりあとのF1しか知らない人がいたら、ぜひ機会をみつけて実際に見て聞いて触れてみるといい。これほどまでに官能を刺激するF1は、そのあとつくられることはないのだから。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Richard Heseltine 

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