自動車ファンなら知っている|著名な「ラジエーター・マスコット」彫刻家の復刻品がオークションに

コウノトリがふたたび羽ばたくとき

フランソワ・バザンが遺したいくつかのラジエター・マスコットに、再び命が吹き込まれようとしている。

これまでに参加した自動車のオークションで、フランスを代表する20世紀有数の彫刻家フランソワ・ヴィクトール・バザンの作品に注目しなかったとしたら、あなたは熱心な自動車ファンとはいえないかもしれない。1900年代前半の自動車に備えられたマスコットのほとんどは、バザンの手になるものだからだ。例を挙げれば、イスパノ・スイザのラ・シゴーニュ(コウノトリ)を知らない人はいないし、トラックのラティルに付いている逞しい像の頭の部分はラティルの強靱さを表わす素晴らしいものだ。かつてのフランスの自動車メーカー、ユニックが使用した Centaure は弓を射るケンタウロスをモチーフしたもので緊張と躍動感に満ちている。等々、彼の作品はどれも卓越した想像力に満ちあふれている。

バザンという彫刻家
バザンが59歳という若さで1956年に没してから60年あまりが経ったいま、なぜここで彼の作品を取り上げるかといえば、彼の孫に当たるジュリー・バザンが復刻事業を興したからである。彼女は、祖父の代表作のいくつかを、現物から直接型を取った複製品として新たに制作し、ひとりでも多くの人にバザンの作品に触れてもらいたいと思ったのだ。

バザンの経歴はわれわれが思うほど輝かしいものではない。彼の両親はふたりとも木版あるいは銅版の彫刻師で、受賞歴さえ持つ成功したアーティストだった。だが、作品の制作にあたって写真を使用していたことが世に知れ渡り、暮らしぶりは一変。3人は逃げるようにしてパリからチリに渡り、サンチアゴの美術学校で教鞭を執って暮らした。

若いバザンは1916年まで両親とともに過ごしたが、19歳でパリに戻り、フランスの有名な国立高等美術学校、エコール・デ・ボザールに入学。製図や彫刻の分野で優秀な成績を収めた。その後、戦争が勃発したために、志半ばでSPA164飛行中隊に入ることになる。この部隊で彼は有名なスパッド複葉機を操縦するパイロットとなった。

スパッド機はイスパノ・スイザ製のエンジンを搭載していたのだが、これが彼の人生を左右することになる。バザンはイスパノ・スイザの当時の社長、マルク・ビルキヒトと出会う。ビルキヒトはフランス空軍のエース、ジョルジュ・ギンヌメールが率いる第3飛行中隊のスパッドの側面に、空を飛ぶコウノトリがシンボルとして描かれていることを知っていたので、バザンに自動車のイスパノ・スイザにもコウノトリをマスコットとして作ってみないかと持ちかけたのだ。入隊前に彫刻を学んでいたバザンが快諾したのは言うまでもない。張り切ったバザンはコウノトリの飛行姿勢をいくつも描いたが、ビルキヒトが選んだのはやはり、ギンヌメールのコウノトリ部隊で名高い、翼を下げたデザインであった。彼はそれを手にすると正式にマスコットのひな型を鋳造品で作るよう申し渡した。ビルキヒトは最終型が出来上がったら、レマン湖に係留している自分のモーターボートのへさきにも付けたいからと、特大のマスコットを注文することも忘れなかった。そのボートのエンジンがイスパノ製であることは言うまでもない。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Simon de Burton

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