水面を駆ける跳ね馬│フェラーリのバッヂを付けたスピードボート

Photography:Silvano Maggi

フェラーリのバッジを許される唯一のスピードボート。これはそのボートにまつわるストーリーである。

100mph以上のスピードで水上を走り抜けるボートに乗った事がある人は、滅多にいないであろう。私は最先端の素材で作られた船体に1万1000㏄のエンジン2基を搭載したスピードボートに乗ったことがあるが、まるでコンクリートの海の上をかすめて飛ぶジェット式のシガーチューブの中にいるような気分で、生きた心地がしなかった。

1940年代と50年代のトップスピードボートドライバー、アキレ・カストルディの精神状態はいったいどうなっていたのか、皆目見当がつかない。1940年、アルファロメオ・ティーポ158アルフェッタのエンジンを載せたアルノで、400㎏クラスの世界速度記録、81.10mph(約130㎞/h)を達成すると、カストルディのスピードに対するこだわりはますます強くなり、より速く、よりパワフルなものへと次々に建造したアルノ艇は10隻を下らなかった。

彼が執着したそのプロジェクトの頂点が、このアルノXIだ。様々なモデルメーカーから模型が発売されているから、そのフォルムに見覚えがある人もいるだろう。しかし実物のアルノXIは50年もの間、公の場に姿を現わすことなく、そしてそのストーリーも語られることはなかった。

時は1950年代、裕福なカストルディ氏は、同じく裕福な遊び仲間とアルファロメオやマセラティなど、レーシングカーエンジンを転用したハイドロプレーンスピードボートで競うことに飽きていた。なかでも800㎏クラスの世界記録に挑むため、ラウラ号にアルファロメオのエンジンを搭載したマリオ・ヴェルガの存在は特に目障りで、彼を苛つかせた。

勝つためには誰も思いつかない、そしてとてつもなくパワフルなエンジンが必要だと考えたカストルディは、友人であるフェラーリのレーシングドライバー、アルベルト・アスカリとルイジ・ヴィロレーシに協力を要請した。2人はカストルディの新記録達成のため、技術的支援とエンジンを提供するようエンツォ・フェラーリを説得した。

1953年のシーズンに向け、カストルディはイタリアのコモに拠点を置くカンティエーリ・ティモッシに依頼し800㎏クラスのスリーポイント・ハイドロプレーン(2個のハルの先端とプロペラの3点のみが水面と接触する)を建造すると、そのボートをアルノXIと名付けた。



船体は木骨にマホガニーの外板を貼り、アルミのフェアリング、リアスポイラー、エンジンカバーで構成されていた。エンジンは、1951年のイギリスGPで、フロイラン・ゴンザレスがドライブしてフェラーリとってグランプリレース初優勝をもたらした、ティーポ375のV12エンジンが採用された。4.5リッターのエンジンは1気筒当たり2本のプラグを備えて385bhpの最高出力を発揮。トランスミッションを介したプロペラの回転数は10000rpmに達した。

1953年、カンピョーネ・デ・イターリアレースで行われたテストで、カストルディは約125mph (約201㎞/h) を記録したが、アルファロメオによるフルサポートを受けたラウラを駆るマリオ・ヴェルガはクラス最高記録となる公式コース1往復の平均で125.68mph (約202㎞ /h) をマークすると、2週間後には140.74mph (約226km/h)を叩き出した。

カストルディは再びエンツォ・フェラーリに協力を求めた。新たに提供を受けた375エンジンは、圧縮比を高め、メタノール燃料に対応するよう改造されたうえ、2基のスーパーチャージャーを備えていた。

その結果、アルノXIは500bhp以上のパワーを得ることになった。 エンツォ・フェラーリはスクーデリアのチーフエンジニアであるステファノ・メアッツアにエンジンのセットアップをさせ、1953年10月15日、カストルディはイゼーオ湖で平均150.49mph (約242㎞/h)という見事な記録を達成し、ヴェルガを破った。

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation: Shiro HORIE 原文翻訳:渡辺 千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation:Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.)  Words: Kip Springer 

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