「空を飛ぶバイク」英雄になったバイクの物語

octane UK

イギリス空軍が100年を祝った式典で、ロイヤル・エンフィールドは1台のモーターサイクルを披露した。それは第二次世界大戦で、革命的ともいえるモーターサイクルのパラシュート投下を偲ぶオマージュなのであった。

私はそのとき興奮していたので記憶があいまいなのですが、唯一覚えているのは死にたくないということ、そして怖い思いをしたくないということでした」と語るのは、当時、第9パラシュート大隊に配属されていたフレッド・グラヴァーである。

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「その日は本当にやって来るのだろうか?と考えながら、私
は標準的な武器であるナイフを装備した右脚を眺めていたことも覚えています」その日とは1944年6月6日、いわゆるDデイ、連合軍がノルマンディー上陸作戦を開始する日である。

そのような状況の中で、ロイヤル・エンフィールドというオートバイ・メーカーからフライング・フリー( Flying Flea)が配備された。第二次世界大戦で、連合軍にとってもっとも価値のある車両の1台となるバイクである。その目的は単純ではあるが、通常では考えられないような難儀なものであった。敵の領地全域で迅速かつ効果的に活動するために、パラシュート連隊の兵士とともに地上に舞い降りる任務を負っていたのだ。



ロイヤル・エンフィールド(Royal Enfield)とは、現存するオートバイ・ブランドの中では世界でもっとも古いイギリス発祥のオートバイ・メーカーであり、現在はインドのオートバイ・ブランドであるアイシャー・モーターズの一部門となっている。

あれから75年が経過した。そのアニバーサリーにフライング・フリーとそれに乗った人々に敬意を表して、ロイヤル・エンフィールドから発表されたのが、限定版クラシック500ペガサスなのである。

改めて言うが、フライング・フリーは素晴らしいオートバイである。もっとも印象深いのは、その単純さである。町乗りバイクを改造して作られたR E /WD 125 に、たった125ccの空冷2ストローク・エンジンを載せた軽量性。それこそがフライング・フリーの何よりの特徴で、片手でひょいと楽に持ち運びができるのに、平坦な土地なら50mph(約80km/h)のスピードで走ることができた。そんな俊敏性があったからこそ、パラシュート連隊が敵の領地で部隊を展開させていくのに欠かせないツールとなったのである。

「パラシュート連隊と空挺部隊からなる編成部隊は、フライ
ング・フリーに関して多くの類似点を持っていたのです」と語るのは、ダクスフォードの空中攻撃博物館の管理者であるジョン・ベーカーである。どういうことかというと、「空挺兵士にとって重要なのは、いかに軽い機材で済ませられるかということ、すなわち高い機動性が何より重要なんです。彼らは身につけたものだけを持って飛び降りるので、移動の唯一の手段は自分たちの足しかなかった。だから便利な移動手段はのどから手が出るほど欲しかったんです」

当初は自転車を使うことも考慮されたが、すぐに非現実的な手段だとして却下された。落下傘部隊が自らの身に自転車をくくりつけて飛び降りたりすれば、着地した際に自転車で怪我を負うことは明白だったからだ。それに、戦いで疲弊した状態で自転車をこぐというのは現実的ではなかった。その点オートバイなら兵士の負担も当然少ない。問題はそれをどう落とすか、だ。

ベーカーは「軽いフライング・フリーは、機動性の点でも申し分ありませんでした。それを使うことで前線基地どうしの意思疎通を格段に高めることができ、兵士はそれまでよりもずっと早く目的を遂行することができました」

フリーを戦地で使用する構想は以前からあった。当時、『モーターサイクル』誌の編集者だったアーサー・ボーンは、早いうちからオートバイは軍に不可欠な要素であると考えていた。彼の息子、リチャードは当時を振り返ってこう証言する。「陸軍省は即座に理解できなかったようです。父は1935年に軽量なドイツ製オートバイの走行テストを行い、その結果をもって軍の機械担当責任者にその効用を説いたんです。これと同じようなものを採用しなければ戦いには勝てませんよ、と」



実際に1934年のドイツのDKW RT100はちょうど45kgの重さしかなく、空冷2ストローク単気筒98ccのエンジンは40mph(約65km/h)での移動を可能にしていた。アーサーはロイヤル・エンフィールドの責任者でもあるフランク・スミス少佐と近い関係にあったこと、そしてロイヤル・エンフィールドがRE/WD125を製造していたことを思い出した。

「そのバイクはもともとオランダとイギリスの一般ユーザー向けに作られたもので、1939年に設計されました」リチャードはこう言うと先を続けた。「1942年にチャーチルは空軍とパラシュート連隊の重要性を説きました。そして同時に軽量な移動機械も必要であることも。競合する他社のバイクと厳しく比較されたのち、ロイヤル・エンフィールドが勝って制式採用されたのです」

それでも、これはロイヤル・エンフィールドが軍隊と協力した最初の事例ではなかった。これは同社の社名の由来にも関わることなのだが、1892年、同社はミドルセックス州のエンフィールドにあったロイヤル・スモール・アームズ・ファクトリーに代わって軍から精密部品の生産を受注した。この重要なオーダーを記念して、彼らはスモール・アームズ・ファクトリーから"ロイヤル"を、さらにそこの地名から"エンフィールド"を、そのふたつをとって社名としたのである。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA  Word:Hugh Francis Anderson

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