キャデラックとブルーズミュージックを辿る旅│ルート61を行く

Photography: Martyn Goddard

数え切れないほど多くのブルーズ・ソングを生み出した道を、アメリカ伝統のV8エンジンをもつキャデラックで旅する。ヨットのように乗り心地が良く、静粛性も飛び切りだ。

面白そうな計画はたいてい実現させるまでに長い時間がかかるもので、このアイデアを思いついたのがいつのことだったのか、いまとなってははっきりと思い出せない。

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ただ、フォトグラファーのマーティン・ゴダードとふたり、どこまでも伸びるアメリカの道を走りながら、ラジオから流れてくるマディ・ウォーターズの曲を聞いていたときのことだったことだけはぼんやり覚えている。伝説的なハイウェイ61に乗って、ブルーズの生まれ故郷であるデルタ地帯まで走り切り、ミシシッピー・ブルーズについてのストーリーを紡ぎ出す。それが、私たちの思いついたことだった。



かつて、南部に暮らす貧しい黒人たちが、よりよい暮らしを求めて工業化された北部の都市へと移住していった"グレート・ミグレーション"。マディ・ウォーターズに代表されるブルーズ界の偉人たちは、このルートをたどってシカゴにやってくると、クラブやスタジオで演奏していくなかでその音楽を世界中に広め、ポピュラー・ミュージックのあり方を決定的に変えていった。自分たちの考え出したこのアイデアに心底惚れ込んだ私たちは、長い歳月をかけて旅の細部を煮詰めていった。

それでも、計画をなかなか実行に移さなかったのは、この旅にぴったりマッチしたクルマを探し出すことに私がこだわり続けたからだ。そのクルマがキャデラックでなければならないことは明らかだった。なぜなら、誇り高きブルーズマン、それに当時少なくない数が存在したとされるブルーズウーマンたちが、誰もが憧れ、幸運をもたらす街と信じられていたシカゴまでクルマを走らせるなら、間違いなくキャデラックを選んだはずだからだ。

この、半ば自殺行為的なアイデアに願ってもない審判が下されたのは、ちょっとした偶然がきっかけだった。昨年のクリスマスに私の生まれ故郷であるテネシーを訪れたとき、昔のレース仲間で、いまも腕利きメカニックとして知られるスタン・ヒースがこう請け負ってくれたのだ。「ちょっと探してみるから、それまではどんなクルマにも絶対に手を出すなよ」 イギリスのオックスフォードシャーに帰ってくると、彼からのメールが早速届いていたのだが、それを見た途端に時差ボケが吹き飛んだ。



「おあつらえ向きのキャデラックを見つけた」スタンはそう書き始めていた。「1981年製のクーペ・ド・ヴィルだ。目立った錆びはない。エアコンだけはダメだが、それ以外の基本的な部分はすべて問題なく動く。オルタネーターは新品、エンジン周りも好調。昔の黒人だったら、あの世に行っちまった連中も含めて、きっと気に入ったはずさ」

これを聞くと、すぐに諸費用込み656.36ポンド(11万円強)をアメリカに送金し、マーティンに電話をかけてこう言った。「ホテルの予約をしている。ブルーズ・トリップが始まるぞ。できれば、エアコンが必要になる前にミシシッピに着きたいんだ」

こうして、私は4月半ばにテネシーに入ると、「決して裕福ではないブルーズマン」の立場で、1週間をかけて旅の準備をした。テールランプの電球1個とワイパー(ただし片側のみ)を交換し、役立たずになっていた電動式運転席をハンマーで叩き、なんとか動くようにした。さらに、ノックスヴィルでキャデラックを売っているアラン・フェルプスに頼み込み、ホイールカバーをタダで分けてもらったほか、ツインシティ・ビュイックに務めている元上司のローエル・アープからは中古タイヤを2本頂戴してきた。タイヤのサイズはいささか小さ過ぎたが、なにしろタダだ。贅沢は言っていられない。

編集翻訳:大谷 達也 Transcreation: Tatsuya OTANI Words: Dale Drinnon 

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