ヴォアテュレット インディ500<後編>|JACK Yamaguchi's AUTO SPEAK Vol.14

1928年ミラー"DF"前輪駆動。圧倒的な速さでフロントローを占めたが、オーバーヒートで後退。(IMS)

前回では1920年代までのアメリカ・インディにおける排気量の変遷などについて触れた。今回はその続編、1930年代にかけての潮流について話を進めてみよう。

アメリカ・レーシングカーの巨人、
ハリー・ミラー
1923年2.0リッター・インディ500の"ロマン"がブガッティだとすると、衝撃は米国のミラーの大群であった。グリッド24台中11台を占め、レースでは1〜4位、6位、7位を占めた。

ハロルド・アーミニアス・"ハリー"ミラーは、1875年ウイスコシン州に生まれた。ミシガン州の自動車パイオニア、ランサム・オールズが興したオールズモービル社でレーシングメカニックとして働いたが、同車の戦績が振るわないことから退職。カリフォルニアに移ったミラーは、特注気化器の製作を始めて、天与の技術才能と精密工作技能を発揮し、アルミ合金、アルミピストンなどの発明をした。

1910年代、気化器製造業で財を成したミラーは、1920年から施行の3.0リッター・フォーミュラ期に向け、新エンジンを設計製作した。この時、当時のデューゼンバーグ、仏プジョーGPのDOHC、4バルブなどを参考にしたという説がある。彼は整備業時期にデューゼンバーグやプジョー・エンジンを手がけ、レーシングエンジン分野の権威となっていた。

1922年から投入された2.0リッターと1.5リッター期のミラー製エンジンは、直列8気筒DOHC4バルブにスーパーチャージャーを備え、『芸術』とまで評価されたほど、1基1基が精緻を極めた手造りであった。

またミラーは、革新的技術を用いたレーシングカーを自製、販売した。前輪駆動レーシングカーの"FD"(フロントドライブの意)を製作すると、これを販売し、実戦に投入した。四輪駆動車も製作したが、これは実験車で終わった。

1930年にミラーと助手のフレッド・オッフェンハウザーは、直列4気筒の船舶エンジンを設計製作した。ミラーは、このDOHC 4バルブ、3.6リッターを自動車に改造し、速度記録を樹立している。

だが、1933年、ミラーのほとんど手造りの超精密、高コスト・レーシングエンジン/レーシングカー事業は破綻した。設備を買い取ったのが元助手、オッフェンハウザーだ。1934年から第二次世界大戦期を除く1960年代まで、オッフェナンハウザー、愛称"オッフィー"直列4気筒は、アメリカのオープンホイール・レーシングで常勝エンジンとなり、27回のインディ500優勝記録をつくった。

文・写真:山口京一 Words&Photography:Jack YAMAGUCHI

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