英国とスイスの合作カメラ|AUTOMOBILIA 第10回

コンパスの正面(Photos:Kumataro ITAYA)



コンパスと印篭
ハロッズでみかけた不思議な光学機器に心を奪われてからだと思う、わたしでも入手できそうなコンパスカメラを探すようになった。当時は出物がほとんどなく、銀座などの中古カメラ店に出てくるのは数年に一台あるかないかという状況。それでもわたしは、元箱があることと美品であることの二点だけは譲らずに探し続けた。

コンパスの身上はなにをおいても、外観の美しさにある。グランプリ・ブガッティのエンジンを彷彿とさせる、美しいヘアラインの施されたメタル面は、コンパス最大の魅せ場。ところが、数年に一台、市場に姿を現すコンパスは、どれもやれたものばかりだった。まして箱付のものなど皆無。そうして気がつけば、20年以上が経過していた。

後悔もある。本体はまあまあの程度ながら、付属するロールフィルムホルダーは残念ながら非純正品。今にして思えば、フィルムホルダーが非純正品であることに拘泥するあまり、そのほかに付属していた純正のレリーズケーブルと純正のキャリングチェーンのことを過小評価してしまった。純正のレリーズケーブルとチェーンはコンパスのアクセサリーのなかで第一級の貴重品だということを、後々、痛いほど思い知らされることになる。まさに痛恨の極み。

いかに戦前の設計とはいえ、コンパスはカメラとして実に使いにくい。フィルムの装填にはじまり、写真撮影を拒むかの如き扱いにくさがある。それは小さなサイズと、そのサイズの割には詰め込みすぎた感のある機能に起因するものと思われる。実機を手にしてみると、これは実用機として開発されたのだろうか、というささやかな疑問が生じる。

唐突で恐縮だが、「貴族のつとめ」というボードゲームがある。ひたすら蒐集を重ねコレクションを充実させることを競うゲーム。コンパスは実用機というよりは、蒐集対象たることを狙っていたのではなかろうか。

水戸黄門で有名な印籠も、天下太平の世にあっては実用品というより蒐集対象としての意味合いが強くなっていく。小さな芸術品である印籠や根付は、時に見せ合うなどしてたのしむ。わたしの好きな、塩見政誠、古満寛哉、柴田是真などの手になる印籠は、どれも実際に使用するのではなく、所有のよろこびのために存在していると思えてならない。

そう考えると、コンパスの成り立ちにも合点がいく。しかも、コンパスで撮影する気が一切ないわたしにとって、この解釈は大いなる免罪符になるのである。

尚、コンパスが印籠と異なる点のひとつは、操作するよろこびが深いこと。印籠も指物師の技を感じるので、開けたり閉めたりするのはたのしい。

コンパスの場合、たとえばシャッター。巻き上げると、スイスのジャガー・ルクルト製だけに、その感触は機械式時計を手巻きするのに近いものがある。また長いシャッター、コンパスは4.5秒までのスローシャッターを搭載している、を切ると、本稿の第五回でとりあげた、ホイヤーI.F.R.のような作動音がする。

コンパスというカメラ、わたしは撮影をしなくても、こうして掌中でたのしむだけで充分。更に、ビリングとコンパスの組み合わせから、ジウジアーロによるニコンやデ・シルヴァのライカなどに思いを馳せていると、時の経つのを忘れてしまう。

今回の肴
それぞれについて簡単に。

□コンパスの正面
メタルの輝きがコンパスの命。細かく刻まれた文字のひとつひとつに意味があり、その上で美しい。コンパスにはグラフィックデザインの妙がある。




□上から見たコンパス
コンパスを上から見たところ。レンズは沈胴式で二段に繰り出す。カメラの正面を下に向けるとレンズが自重で出てくるようでは、程度がよいコンパスとはいえない。




□コンパスのサイズ
コンパスは小さい。比較の為、ライカとならべてみた。タバコのサイズくらいで、昔の人が印籠を持ち運んだ時のように、袱紗にでも包んで懐に忍ばせたい気になる。




□コンパスのフィルム
コンパスの撮影は、昭和の時代の写真館などでつかわれていた大型カメラに似ている。撮影時に遮光布を被る必要はないが、撮影の度にフィルムを装填しなくてはならない。




□コンパス三点セット
コンパスはこのようなセットでも販売された。三脚は万年筆のようなクリップ付。脚と軸で高さを4通りに変化させることができる。中央はロールフィルムホルダー。




□ルクルトの刻印
カメラ本体だけでなく、三脚やロールフィルムホルダーにも製造者であるルクルト社の刻印がある。刻まれる文字は英語のほかに仏語があり、一説には独語のものもあるらしい。




□手許のコンパス
「コンパス三点セット」写真にあるようにセットは茶箱に収まる。青箱はカメラ単体とフィルムホルダー単体それぞれのもの。くたびれた革はソフトケース。右下は珍しい元箱を保護する外カバー。純正のチェーンもレリーズケーブルも未入手のままである。




□コンパスの紙資料
コンパスは紙モノが充実している。カメラの説明書のほかに三脚やロールフィルムホルダー単体のリーフレットなど、なかでも特筆すべきは「SOMETHING NEW UNDER THE SUN.」と粋な題のついたリング綴じの冊子。コンパス愛好家必携の資料である。




□コンパス冊子内容
リング綴じ冊子をひらいたところ。戦前につくられたものだけあって、どのページも丁寧に仕上げられている。全てのページをご紹介できないのが残念。




□今回の蛇足 O-プロダクト
コンパスを見ていると、日産CUE-XやQ45などの作品でも知られる優れた工業デザイナー、山中俊治氏によるオリンパスO-プロダクトを思い出す。絵心のある彼のレンダリングはすばらしく、眺めていて飽きることがない。

文、写真:板谷熊太郎 Words and Photos:Kumataro ITAYA

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