私が操ったポルシェ911のなかではベスト|ワークスドライバーがそう語った完璧なレストア

1970ポルシェ911ST(Photography Remi Dargegen)



ラリードライバー
「子供の頃から、車やモーターサイクルに関係することだったら何にでも興味を持っていました。家族のなかで、私ひとりだけが車好きだったのです」

ラルースが自身の幼少期を述懐する。「父はリヨンでシルクを扱うビジネスに携わっていて、車は単なる移動の手段にすぎませんでした。私が自動車競技に参加するようになったのは1960年代の前半で、地元の小さなラリー・イベントなどに出場していました。そして1966年の終わりに兵役を終えるとプロのドライバーへと転向。最初の2年間はNSUのワークスドライバーとして、次の2年間はアルピーヌ・ファクトリーチームの一員として活動しました。ポルシェに移籍したのは1969年。それからの3シーズンは、ラリーやレースに打ち込む素晴らしい日々となりました」

911を駆るラルースは1969年トゥール・ド・コルスに優勝。モンテカルロでは3度2位(69年、70年、72年)に入ったものの、数ある栄冠のなかでもっとも象徴的だったのは、69年トゥール・ド・フランス・オートモビルで見せたオールラウンダーな活躍振りだった。ラルースとコドライバーであるモーリス・ジェランのコンビは、10日間におよぶマラソン・イベントで楽々と優勝。彼らを追走できたのはコルベットに乗るアンリ・グレデールだけで、それもイベント序盤のことに限られた。

「とても長いイベントでしたよ」ラルースが振り返る。「いろいろな意味で、トゥール・ド・フランスはラリーとレースをミックスしたような競技だったので、ドライバーはどちらも得意としていなければいけませんでした。そんなことができたドライバーは決して多くありません。私をポルシェに紹介してくれたヴィック・エルフォードはその数少ない例外のひとりですが、この種のイベントで活躍できたのはほんのひと握りです。ロードセクションもたくさんあったので、走行距離はとても長く、眠る時間はほとんどありませんでした」

その翌年、ラルースはここで紹介するポルシェとともにトゥール・ド・フランス・オートモビルに挑戦する。このとき、マトラがスポーツプロトタイプのMS650を2台エントリーさせるという噂はドイツにも届いていたが、ポルシェは似たような車両でイベントにエントリーしないことを決める。なぜなら、この種のマシンがバンピーな路面で苦戦するのは明らかで、数多くのレースやラリーを含むトゥール・ド・フランスを乗り切れるはずがないと判断したからだ。

ラルースとジェランにあてがわれたのは、1970年に7台が製作された911STのうちの1台だが、この1台はほかの6台より明らかに軽かった。ポルシェに残る記録、そしてコンペティション部門に所属したメカニックの証言などによると、2395ccのエンジンから250bhpを生み出す911STの車重は800kgちょうど。しかし、ラルースはこの数字に不満を抱く。それでもまだ重いと感じたのだ。そこで彼は、「もともとギリギリまで軽量化されたこの車両を少しでも軽くできたら、1kgごとにシャンパン1本をプレゼントしよう」との約束をメカニックたちと交わしたのである。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words Richard Heseltine Photography Remi Dargegen

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