私が操ったポルシェ911のなかではベスト|ワークスドライバーがそう語った完璧なレストア

1970ポルシェ911ST(Photography Remi Dargegen)



ラルースはしばらく黙り込んだ後に、こう語り始めた。「私が覚えていることを知りたいんですよね?あれは最終日のことでした。私はクラッチを使わずにギアチェンジしなければいけなくなりましたが、それも初めてではなかったので、大したことではありません。いずれにせよ3位フィニッシュは確実な状況で、私たちはカンヌからニースに向かう高速道路を走っていました。すると、仲のいい友人が私を追いかけてマルセイユから車を走らせてきたのです。そして「妻の陣痛が始まったので、レースが終わり次第、すぐにパリに向かって欲しい」と伝えてくれました。つまり、私は父親になろうとしていたのです!そこで表彰式を欠席して空港に向かったのですが、あまりに疲れていた私はそこで寝込んでしまって、予約してあった飛行機に乗り損ねてしまいました!」

ル・マン、そしてF1
話はこれで終わらず、ラルースはポルシェと勝ち取った様々な栄冠について語ってくれた。それらは、彼が心から敬愛するヴィック・エルフォードと組んで優勝した1971年のセブリング12時間やニュルブルクリンク1000kmといったレースに始まって、1975年に至るまでの、様々なカテゴリーのイベントが含まれていた。この後、ラルースはルノーのモータースポーツ活動を統括。1978年にアルピーヌA442Bでル・マン24時間を制すると、F1参戦の準備を推進する。9年間のルノー在籍中に、ラルースはF1チームのマネージャーを務めたり、ラリーに挑んだ5ターボのプログラムなどに関わった。そしてルノーを離れると、短期間リジェに所属した後、自らの名前を冠したF1チームを創設したが、資金不足に苦しみ続け、中団グループから抜け出せないままチームは活動を終える。「あれは"ミッション・インポッシブル"でした。自分のF1チームを立ち上げるなんてバカげたことですが、私は挑戦せずにはいられませんでした」そういうと、かつてのF1チーム・オーナーは肩をすくめた。

元ラルースの911ST
いっぽう、911STはこの後ジェントルマン・ドライバーの手にわたってからも1970年代を通じて高い戦闘力を誇った。まず、ポルシェは南米のプライベートチームに売却。彼らは1レースに参戦しただけで、ギリシャ出身の友人でコーヒー輸入業を営むエイヴィス・ラミディスに売り渡した。

個性的でサイケデリックなボディカラーは、1974年後半にスラックストンで開かれたレースに参加した時点では"健在"で、そのときにはファクトリーの手により2.8 RSR仕様にアップグレードされていた。この作業を依頼したのはシャープ・レーシング代表のウェイン・ハードマンで、シュトッツガルトから戻ってきたマシンをトレーラーに積んでスラックストンに向かっているとき、このトレーラーがパンク。やむなくトレーラーから911を下ろすと、ハードマンは渋滞している道の路肩をスリック・タイヤのまま走りきり、ようやくサーキットに辿り着いたという。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words Richard Heseltine Photography Remi Dargegen

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