フェラーリに立ち向かった男│ゼロからレースカーを開発する

Photography:Lies De Mol



SGC003のデザインは、このプロジェクトのなかでもっとも難しいプロセスだった。なぜなら、レースでコンペティティブな性能を発揮しながら、公道を走行できる機能が求められたからである。つまり、若き日々にローラと過ごした経験をジムは忘れられずにいたのだ。

様々なアイデアが提案されたが、検討に検討を重ねた結果、最終的にB案とD案のふたつが生き残った。B案はある意味、古典的なスーパーカーの美しさをたたえたデザインで、「ヴィラデステで主役を演じられたはず」とジムは語る。

いっぽうのD案はこれとは対照的で、まるで最新のLMPレーサーのように、長くて細いノーズと、これとは別体のウィングが設けられていた。 

「D案を見た人は、キュビズムの作品を初め
て見たときのような反応を示したよ。もしもこのマシンをパドックに運び込んだら、アウディやポルシェの連中はパニックに陥るだろうね。どうやってこんなものを実現したのかと訝しがるはずさ。大メーカーに挑むのは、本当に気分がいいことだね」



最終的にD案が選ばれたのは、こちらのほうがずっと大きなダウンフォースを発生できることが理由だった。現代のレーシングカーにおいてエアロダイナミクスが何よりも重要になることはいうまでもない。こうした努力とは別に、ロードカーとして登録可能かどうかという問題にもジムは取り組まなければならなかった。モンタナはアメリカのなかでこの種の規制がもっとも緩い州として知られる。そこでモンタナ州で登録した車両をニューヨークで走らせても問題がないかと、当局に2度問い合わせた。「構わない」というのが、最終的にジムが得た結論だった。

デザイン案が決まると、こちらも名前が公表されることのないイタリアの小さな会社が発泡フォームで実物大の3Dモデルを作り上げた。これを見たジムは満足そうだった。

「まだ誰もLMPそっくりなGTカーを作り上げたことがない。これは、とても理に適ったやり方なんだ。それにアウディLMP1カーほど格好いいマシンはないだろ? それで、思い切ってこのデザインを採用することにしたんだ」

規模の小さなチームの利点は小回りが利くことだ。SCG 003の開発でも、このフレキシビリティは最大限に活用された。マセラティV6が使えなくなったことで、代替のエンジンを探さなければならなくなった。幸い、ホンダ・パフォーマンス・デベロップメント(HPD)が、セブリングやデイトナで好成績を収めているV6ツインターボ・エンジンの供給に応じてくれた。これは3.5リッターの排気量から500bhp以上を生み出すレーシングエンジンである。このため、アメリカの排ガス規制に適合させることができないので、必然的にSCG 003はサーキット走行専用モデルということになる。実は、ロードカーに仕立てるためにアウディW12エンジンを搭載する案もあったのだが、結果的に2台のSCG 003にはHPDエンジンが積まれることが決まった。 

「2台?」 そのとおり。現時点では2台のSCG
003が存在している。ジムが所有する1台はブラックに、そしてクリストファー・ルードが所有するもう1台はイエローにペイントされている。ルードは彼の家族が経営する照明器具メーカーで副社長を務めている人物だ。

当初、ジムはワンオフにこだわっていた。しかし、2台にすれば開発費の負担を軽減できる。そしてそれ以上に大切だったのが、複数台を製作することが、レースへの出場に必要なホモロゲーションを得るうえで有利だった点にある。彼らの最終目標であるル・マン24時間にエントリーするためにも、これは重要なポイントだった。

こうして完成したSCG 003は、公道用のストラダーレにもレース用のコンペティツィオーネにも簡単にコンバートできる構造とされた。価格は2億~2.5億ユーロ。「ジムのアイデアは実にロマンチックなものだ」とレナールツ。

「24時間レースを戦った後、パドックでストラ
ダーレに改め、パリまでドライブしてシャンゼリゼでオイスターを食べるんだよ」これまでの経歴を見る限り、ジムは実際にこれをやりかねないだろう。

スクーデリアはいま、様々なことを急ピッチで学んでいる。2015年1月、ヴァレルンガで初テスを行った際にジムのマシンがクラッシュしたため、その後のテストはクリスのマシンで行うこととなったが、この過程でボッシュ製ECUの問題が見つかったりエンジンから小規模な火災が発生したりもした。

ジムはこのマシンを2015年ジュネーヴショーにも展示した。既存の大メーカーと並んでスクーデリア・キャメロン・グリッケンハウスの看板を掲げることは実に誇らしげだったし、ロン・デニス、オラチオ・パガーニ、クリスチャン・
フォン・ケーニグセグ、ジャン・トッド、そしてアウディ・スポーツの面々がSCG 003をしげしげと眺めていった。

「いまから60年後にスクーデリア・キャメロン・
グリッケンハウスが現在のフェラーリのようになっていたとしても不思議ではないね」 クリス・ルードはそう語る。

「でも、何が起きよう
とも、私がスクーデリア・キャメロン・グリッケンハウスの最初の顧客であるという事実は、永遠に変わらないんだ」

編集翻訳:大谷 達也 Transcreation:Tatsuya OTANI 

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