日本で活躍した1966年ポルシェ906カレラの落札価格は?

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製造110台のポルシェ550スパイダーは、ジャイアントキリングのレーシングカーとしても、ジェームズ・ディーンが命を落とした車としても有名だ。その価格は今や500 万ドルを超える。現在の史上最高値は、極めてオリジナルな1 台に付いた610万ドルで、2016年グッドウッド・リバイバルで行われたボナムスのオークションで落札された。

クラシックカーの価値に関しては理屈に合わないことが多い。ポルシェ906がそのいい例で、希少性でもスピードでも550を上回り、より進化した"使える"レーシングカーでありながら、現在は550の半額以下で取引されている。カリフォルニアの老舗ディーラー、シンボリックで販売されている素晴らしい906も同様だ。当時、日本に輸入された3台のうちの1台で、特別なヒストリーを持つ車である。



1960 年代に日本で唯一の正式なポルシェ代理店だった三和自動車が、実業家の瀧進太郎に販売したものだ。瀧は、タキ・レーシング・オーガニゼーション(TRO)というプライベートチームを立ち上げ、自らもドライバーを務めた。1966年の第3回日本グランプリでは、この906でプリンスR380と競り合い、一時はトップを走行したもののリタイアに終わった。その後、日本やマカオで数々の勝利を挙げた。日産やトヨタのワークスチームにプライベートとして戦いを挑んだTROは、有力ドライバーを招聘するとともに910やローラT70Mk.IIIを購入するが、906もチームの戦力としてレースを続けた。



その後、瀧のチームを離れた906は、1970年にイギリス人ジャーナリストでレーシングドライバーのピーター・ベラミーが入手。ベラミーは906をブリティッシュ・レーシング・グリーンに塗りかえ、精力的に日本のレースに参戦した。その後、オーストラリアに運んで、当時のマラネロ・コンセッショネアーズCEOに売却した。彼は、それから26年間、906を自分のミュージアムに展示していた。

906は1991年に再び日本に渡り、ある日本人のコレクションに加わった。この人物は、906をラ・フェスタ・ミッレミリアにエントリー。瀧進太郎がドライブして、久々の再会を果たした。

その後、906はヴァイザッハのポルシェファクトリーに送られ、5年をかけてレストアを施され、オリジナルのエンジンとギアボックスもオーバーホールを受けた。それから10年間は個人のミュージアムで眠っていたが、別の日本人コレクターが購入した。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO( Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA

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