1971年のF1を象徴するマシン│マーチ711を解き明かす

Photography: John Colley and Jeff Bloxham



ロビン・ハード(Robin Herd)はMARCHのHである。Mはロビンのオックスフォードの同級生であり、後にFIA会長となるマックス・モズレイ(Max Mosley)、Cはファクトリーの責任者だったグレアム・コーカー(Graham Coaker)、そしてARはチーム・マネジャーのアラン・リース(Alan Rees)の頭文字である。ハードはマーチの共同創立者でデザイナーだったが、そこに至るキャリアはちょっと変わっている。

大学卒業間近になって、ハードはようやく就職を考え、何とかファーンボローに仕事を見つけた。そこで彼は英仏両国による超音速機コンコルドの開発に関わり、3年後に有名なF1チーム・オーナーにリクルートされる。一体どんな理由で、ハードがそれを決断したのか、それよりなぜブルース・マクラーレンは彼に電話をかけたのか?

「それまで車を手掛けたことはなかった」と
ハードは当時を振り返った。「F1どころか、オックスフォードで本当に学んだことはなかった。あそこで神学やエンジニアリングを専攻してもまったく役に立たない。だが若かった私は傲慢で無知だった。何か大きなことをやるなら、若いうちにやるべきだと今でも信じているよ」

ハードが作ったマクラーレンM2やM4は成功
作とは言えなかったが、それは多分にエンジンのせいだった。実際ブルース・マクラーレンはM2のハンドリングはとても良いと語っており、それに対してインディカーのものを流用したフォード・エンジンは重くパワーも不足していたのだ。ハードによれば、彼はウィングを採用すべきだと考えており、そうすればエンジンのハンデがあっても良い結果を残せたはずだという。「ウィングは既にできていた。ただ、実戦投入を躊躇っていた。自分の直感に従うべきだったね」



ウィングが実際に使われたのは1968年のM7からだ。この車はハードがゴードン・コパックと共同開発したもので、DFVエンジンも積まれていたが、その頃にはハードはコスワースに移ることを決めていた。そこで4WDトランスミッションの開発を手掛けたが、それも短期間在籍しただけで、間もなくマーチの立ち上げに加わった。 マーチを創設した4人はまったくの新参者で、彼らの最初の車であるF3の693は倉庫で組み立てられた。その車はスウェーデンの新星ロニー・ピーターソンの手でデビューした。翌年、自信過剰な若者たちはジョー・シフェールとクリス・エイモンのために701を製作する。つまり、第二作目にしてトップカテゴリーに進出したのだが、まったく資金に乏しい計画だった。

「ジョーがポルシェから5万ポンドを持って来
てくれた。それに私がSTPのアンディ・グラナテッリに頼んで出資してもらった」とハードは説明する。「ニューヨークでアンディに会い、いきなり訊ねたら彼が〝よし、1万ポンド渡そう〞と言った。ホテルの廊下で握手して金をもらった。まあそういう時代だったんだ」

その年、マーチはケン・ティレルにシャシーを供給できる唯一のマニュファクチュァラーであり、ジャッキー・スチュワートはスペインGPで早くも彼らに初めての勝利をもたらした。

翌年、ハードはティートレイ・フロントウィン
グを持つ711を設計する。「701は良いマシーンだったが、711はさらに良かった。私の作品のいくつかはゴミのようなものだが、711は違う。剛性が高く、長いホイールベースのおかげで重量を車体の中心に寄せることができた。ロニーは最も運転しやすい車だと言っていたよ」

「問題は十分な資金がなかったことだ。時に
はアルファ・ロメオV8を使わなければならなかった。ナンニ・ガリを後援していたアルファのV8はコスワースと違って無料で使用できたんだ」もっともそのせいで少なくとも2勝はふいにしたとハードは言う。もちろん、レースに付き物の運不運もあった。「スチュワートにトラブルが発生した時は決まってロニーにも問題が起こる。スチュワートが勝つ時は、いつもロニーが2位だった。それにもかかわらず、ロニーはスチュワートに次いでチャンピオンシップで2位になった。彼にとっての初のフル参戦シーズンでだ。年間通してコスワースが使えたら、と悔しかった」

「ティートレイは低い抵抗と満足できるダウ
ンフォースを両立させるためのアイディアだ。本当はガーニー・フラップを追加すべきだったんだが、あの年は予算をはじめ次々に問題が起こって、小さな改良を加える余裕もなかったんだ」活動資金に苦しんでいたことは事実だが、ハードは正直に自分の責任も認めている。「私の欠点は、最初に上手くいかないとすぐに諦めてしまうことだ。粘り強く改良を続ければもっと凄いマシーンになっていたはずだ」

ハードにはスキャンダラスな彼の友人についても聞かないわけにはいかない。「マックスはすごい奴だよ。ただ彼はレーシングカー作りにこだわっていたわけではない。彼は政治が好きなんだ。オックスフォードでは組合活動をしているか、女の子に囲まれているかのどちらかだった。少しも変わっていないんだよ」

編集翻訳:高平 高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA 

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