ジャック・バークレーの90年│ベントレーボーイズ、シャンパン、セレブリティに美女

Photography:Martyn Goddard Archive material: Jack Barclay

ロンドンのウェイストエンド、バークレー・スクエアに1953年から店を構える世界で最も有名なロールス・ロイスとベントレーのディーラーは2017年、設立90年を祝った。

2017年に設立90周年を祝った世界で最も有名な自動車ショールームは、ロンドンで最も有名な広場、バークレー・スクエアの一画にある。しばしば、多くのセレブリティやスター達がそのショールームの華麗で重厚な両開き扉を開ける。ジャック・バークレーが自動車販売業を志したのは90年前のことだった。

ジョン・ドナルド・ジャック・バークレーは、自動車が高度先端技術の花形だった1900年に生まれた。当時、自動車は富裕層にとって"新しい玩具"であり、若きジャックは何か車に関わることをしたいと考えた。英国陸軍航空隊を除隊したあと、彼はレーシングモーターサイクルのビジネスをスタートした。1922年、バークレー&ワイズの共同オーナーとしてロンドンの北、グレートポートランド通りにショールームを構えると、イスパノ・スイザ、ロールス・ロイス、ベントレー、ヴォクスホールを販売した。また会社の宣伝のためにレースを始めるなど、自動車ビジネスについてセンスのよさを発揮した。



1926年の聖霊降臨祭の翌日、ジャックはブルックランズのレイルウェイストレートをヴォクスホールで全力疾走しながら、高さ9mのバイフリートバンクを持つ左コーナーに進入していった。だが、彼はコントロールすることができず、時速80マイルでスピンを喫してしまった。損傷はなかったから、ジャックはピットに引き返すことができたが、メカニックがレースの続行を思いとどまらせた。なぜなら、すでにタイヤの寿命が尽きていたからだ。レース活動を続ける彼の熱心さとひたむきさは、ジャックの好感度を上げることになった。だが、レースは危険だと心配していた厳格な母であるオーガスタは、レースを止めることを命じ、その代わり、彼が英仏海峡対岸、ル・テュケのカジノで溜め込んだ博打の負債を肩代わりすると提案。ジャックはこれを飲んだ。

1927年、ジャックは地域販売特約権を取得すると、初めて自身の名を冠したディーラーを、ハノーバースクエア南側のジョージ通りに洒落た店をオープンした。商才に長けたジャックは、大戦後に各地の邸宅などのに置き去りにされていた、大量のRRやベントレーの中古車を買い集めた。メイフェアの住人たちは彼らのエリアをボロ車で走ることは好まなかったからだ。

順調なビジネスの傍、ジャックは再び母親に反抗し、1929年のブルックランズ500 マイルレースにベントレーボーイズのひとり、フランク・クレメントとともに4.5リッターベントレーで出場。当時の長距離レースにおける最速の平均速度時速107.32 マイルを達成して、優勝を果たした。この勝利によって、彼は「ベントレーボーイズのジャック」として認められるようになった。ジャックは彼らに財政的な影響をおよぼさなかったが、彼らとの交際は彼のキャラクターとあいまって、メイフェア地区の富裕層に車を販売する大きな助けとなり「業界で最良の高級車セールスマン」と評されるに至った。



1929年に始まる世界恐慌を乗りきったジャックは、ビジネスの拡大を図った。37 年には、高品質で知られていた1863年創業の老舗コーチビルダー、ジェームズヤングを買収し、自社で販売したシャシーに架装するボディのデザインと製作もビジネスに組み込んだ。

1953年には、現在の地にショールームを移転。モダニズムの最前線ではショールームは何よりその広さを特徴とし、地下のワークショップとメインショールームを最新式の油圧リフトによってリンクさせ、必要な時には車を上下させた。常にプロに徹していたジャックは、丁寧だが強固な社是「サービスは販売に先んじる」を定めて実行した。彼は、顧客を正確に知ることが長期、また繰り返しのビジネスに繋がると確信していた。

編集翻訳:小石原耕作 Transcreation: Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words: Robert Coucher 

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